小松政夫さん死去「『舞台の上で死ねたら本望』なんて、私はごめんです」 〈dot.〉(AERA dot.)

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小松政夫さん死去「『舞台の上で死ねたら本望』なんて、私はごめんです」 〈dot.〉(AERA dot.)
[MARKOVE] 淀川長治さんのものまねから、一世を風靡した「しらけ鳥音頭」に「電線音頭」。誰でも知っている数々のギャグを生み出したコメディアン・俳優の小松政夫さんが11日、肝細胞がんで7日に亡くなっていたことがわか[/MARKOVE]
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小松政夫さん死去 舞台の上で死ねたら本望 なんて

テレビ朝日『みごろ!食べごろ!笑いごろ!』で披露した「しらけ鳥音頭」(1977)が大ヒット。TBS「笑って!笑って!!60分」でのキャラクター“小松の親分さん”は、自身の代名詞となった。

七段目 祇園一カ茶屋の段祇園の一力茶屋で遊び呆けている由良助。ちゃんと、目隠しして遊んでた。師直方へ寝返った家老の斧九太夫は、師直の家来鷺坂伴内と共に由良助の放埓を詮議しに、又、弥五郎達も由良助の本心を確かめに来た。足軽でおかる兄の寺岡平衛門が連判に加えて欲しいと駆けつけた。僅かな禄をもらっただけで命を捨て、敵討ちなんて、不釣合いで無理と言われる。由良助ほどの身分でもいくら首取っても釣合わないから、止めなさいと言われる。酔って寝ている体の由良助。みんな退室し、寝ている由良助一人にさせちゃう。息子の力弥が忍んで来て、刀の鯉口を鳴らすと、眠っていたはずの由良助が目を覚ます。顔世からの急ぎの書状を届ける。封を切った時、九太夫が声をかけた。敵討ちしようかと思ってたが、四十過ぎて色に狂ってなぁ・・・敵討ちなんて、やんぴ!と由良助。そこで、蛸の足を差し出す。明日は判官の命日で、今日は精進すべき逮夜。それでも生臭物を平気で口にする由良助。更に置き忘れて行った刀を見たら赤鰯(←錆びてる)。敵討ちは無いなと思ったが、手紙が気になり、床下に潜む事にする。刀を置き忘れた事を口実に由良助が戻り、手紙を読み始める。斧九太夫、床下に忍んで書状を盗み読み。二階で酔い覚まし中だった、おかるも恋文かしら?と鏡をつかって盗み読み。おかるの簪が落ちてバレちゃう。由良之助は、おかるに身受け話を持ちかける。二階から降りる様に言われ、梯子をかけられる。舟に乗った様で恐いと、おかる。道理で船玉様が見えると由良助。覗かんとって!と、おかる。洞庭の秋の月様を拝み奉るじゃ!と由良助。そんなら降りません!とおかる。生娘じゃあるまいし!と由良助。字幕で流れるエロトーク。やっぱり、健在やん。團十郎の由良助、玉三郎さんのおかるの時、エロトークなかったぞ。何でか知らんけど。このエロトークで、由良助の色気出るのに。三日囲ったら好きにしていいと言われ、大喜びするおかる。身受けの金を渡しに行った由良助。そこへ、兄平右衛門が、おかると対面し、兄が平右衛門と明かしてないのに身受けの話って・・・。由良之助がおかるを殺す気と察し、妹の首を差しだすから連判状に加わらせてくれ、と言い出す。お軽は夫の勘平が死んだことを聞かされ、命を捧げる覚悟する。それを聞いた由良之助は、刀を握ったおかるの手を取ると、縁の下にいる九太夫を刀で突き刺します。連判に加わりながら死んでしまった勘平の代わりに、おかるに九太夫を討ち取らせた。九太夫は親父さんの命を奪った犯人の親。由良助は九太夫に蛸を突きつけられた辛さを語り、鴨川に死体を投げ込むように言う。八段目 道行旅路の嫁入旅人が行き交う東海道を、加古川本蔵の妻戸無瀬と娘の小浪が京を目指しています。小浪は由良之助の息子の力弥の許婚だったのですが、塩谷家がお取り潰しになって以来、結婚の話は立ち消えになっていました。力弥が恋しくてならない娘の気持ちを何とかしたいと、戸無瀬は小浪を伴い山科の由良之助を訪ねる。道行初音旅(←義経千本桜)、道行恋苧環(←妹背山女庭訓)とともに、三大道行とよばれる道行の名曲。押しかけ女房になんな!と母娘の水入らずの道中。心が一つで羨ましい。九段目 雪転しの段山科由良助宅。祇園の茶屋から幇間(←太鼓持ち)と仲居に送られて由良助帰宅。朝帰り。酔い覚ましの塩茶を用意するお石。戯れる由良助を和やかにあしらうと、力弥の持って来た枕を由良助に差し出し、茶屋の衆を帰した。由良助は起き上がり、何故雪をまるめたのか、わかるか?と問う。軽い雪も丸めれば強固になるが、日が経てば溶けてしまう。敵討ちの心も同じ。日が経つと。だから、日を延ばす事はできないと言う事?と答えると、敵討ちの連判状に名を連ねた者は、主の無い日陰者。日陰におけば、雪も解けず、急ぐ事は無いと諭す。山科閑居の段山科の閑居を訪れた母娘を、由良之助の妻お石が出迎える。娘を嫁にと戸無瀬が言いだすと、師直に媚びへつらった本蔵の娘を嫁に迎えることはできない、と断られます。断られたからと言って、帰られましょうか、と戸無瀬は刀を抜き、二人でここで死ぬ覚悟。刀を振り上げたその時に、御無用!とお石が止めます。力弥との祝言を許すから、そのかわり結納に本蔵の首を差し出せとの言い分。判官は、本蔵が抱きとめた為に師直を斬り損ねたと責められる。判官の無念をよそに、本蔵の娘を嫁にするからには、それなりの引き出物が必要だと。そこへ虚無僧姿の。本蔵が、罵詈雑言をお石に浴びせかけ、お石は槍を手に本蔵に勝負を挑みますが、槍をたたき落とされます。力弥が飛びだし槍を拾うと、本蔵の脇腹を刺し貫く。すると、計略通り婿の力弥の手にかかって死ぬのは本望だろうと由良之助に見破られ、本心を打ち明ける本蔵。本蔵は師直が死に至らなければ、切腹にならないだろうと思っていたのに、結局切腹になるのなら、抱きとめたのは一生の誤りと悔いていた。自分の娘の縁談の障害になってしまった事を悔い、娘の愛の為に死す。由良助は本蔵に、庭にある雪で作った五輪の塔を見せ、敵を討った後、誰にも使えず消えると言い、お石は未亡人を増やしたくないから、あんな冷たい態度を取ったと言う。戸無瀬は、お石さんの事を悪く思った事を申し訳なく思う。本蔵は、力弥へ、師直の屋敷の図を引き出物だと渡す。力弥へ後の事を頼み、本蔵の臨終を見届けると、由良助は、本蔵の虚無僧姿で,、急ぎ堺の義平のところへ武器調達へ出かける。素晴らしい!舞台上にはお石の黒(←着物)、戸無瀬の赤(←めでたい着物)、小浪の白(←白無垢)。そして、駆け引き。それぞれの思いを知る。本蔵が絶命する中、娘は結婚。葬式と結婚式が同時に起こっている。この美。お人形さんなので、お石と戸無瀬が渡り合え、本蔵と力弥も渡り合え、本蔵と由良助も渡り合っている。好きに想像できるからね。娘の恋の為に死ぬ本蔵、格好良い。そして、この様な祝い事と悲劇が同時に起こる事は、よくある話であり、義士一人、一人にも起こっていたのでは?だから一番好き。歌舞伎でこの場をバランスええ、適材適所で観られる事は難しいと思う。仁左衛門様が老役に転向するんやったら、本蔵ならええのに。お石と戸無瀬の緊迫のやりとりでも魅せられたい。十一段目 花水橋引揚の段大詰は花水橋(←実説の両国橋)引揚で打出。見事に敵討ちした義士達が菩提所へ引き揚げようとしてたら、若狭助が駆けつけた。祝いを述べ、師直方の追手が来たら引き受けようと申し出る。由良助は冥途からお礼すると述べ、亡君の菩提所へ向かう。天川屋見世の場、討ち入り(←財布の焼香の場も省略)が無くとも満足。お人形さん並べる無いの不可能かも。引き揚げ時でも、結構登場してびっくりしたが。そして、山科閑居は絶品。これは観ておくべき。これが観られたから、遠征費用なんて気にしないわ。山科閑居が一番好きかも。

淀川長治さんのものまねから、一世を風靡した「しらけ鳥音頭」に「電線音頭」。誰でも知っている数々のギャグを生み出したコメディアン・俳優の小松政夫さんが11日、肝細胞がんで7日に亡くなっていたことがわかった。78歳だった。

在庫いっぱいなのに、糸あさりに行く。モヘアの鈎針作品、解けないし手を出すのは、どうかと思ってたが、そろそろ編めるかもって事で、糸を購入。さぁ、帰りましょう!と車内で編図に目を通したら、玉数店頭表示と、ちゃうやん!引き返して買い足す。この交通費で一玉以上買えるではないか!ブルーな気持ちで、帰路。再び編図に目を通したら、編図が足らん。何たる不覚!もう戻れませんよ、流石に。玉数足らんと気がついた時に、何で目を通さんかったんよ・・・。信用ならんって。最近、こう言う事めっちゃある。お店の人を信用し過ぎなんやろか。馴染みの店の人が行き届き過ぎって事?疲れる。

今年もいつものお店、お父さんにご挨拶して購入。また来年と、年に一度の顔を合わせ。スタッフ全員の顔を見ると、ほっとしたり。隠居して、職の無いあたしに、商売繁盛って何だろう?やっぱり賭事?株?人の出世は時知らずやし、まぁええか。家内安全の方のご利益は、あたしが必要なんでいただいて、商売繁盛の方は、相方をはじめ、必要な方に差し上げます(←毎年)。不景気だからか、今年は大きい方も結構売れていて、あちらこちらで、よよよい~が聞えてくる。今年は名前入れてくれ、可愛いぴらぴらしたものをつけてくれました。昨年から我が家で福を呼んでくれた、おかめさんは、唯一きなり(←日焼けしてたんか疑問)で、これ選んで欲しいなぁ・・・と思ってたら、見事に取ってくれ、すごく愛着があった。お別れするのが、名残惜しかった。今年のおかめさんの顔は、まっ白い。マツコ似。

向こうは『松崎(本名)君ですか。植木です。よろしくね』って、全然ちゃかしたりしないで低いトーンでね。『車のセールスマンをやって優秀だと書いてあるけど、なんで私のところにきたんだね?』って聞かれたので、『今やっている仕事と植木等先生と』って答え始めたら『先生って言うな!』って言われてね。『どっちがいいかっていったらこっちがいいと思って』って言ったんですよ。

先日、館長とお話する機会があり、シネマ歌舞伎籠釣瓶花街酔醒の話になった。館長は、近場でかかると観に行く様だが、遠征は、なさらないみたい。だから、松嶋屋の盟三五大切も観たと言う。佐野次郎左衛門が、籠釣瓶よくきれるなぁ~と言う、この意味は何ぞやって話に。あたしは、勘三郎の佐野次郎左衛門が絶品で、勘三郎の舞台では、お祭りと共に、一番好き。彼に一番合っている気がするから。館長は、八ツ橋を殺めた後、亡骸を抱きしめるとか、そう言う展開になって欲しかったらしい。仁左衛門様が、小万の首を抱きしめた様に。仁左衛門様が南北感を消した事も、関西のおばちゃん第一だからだと再確認した。心配していた国立では、南北万歳って感じで、かけてくれたしね。関西では、南北ものがかけれられないんですよねぇ~って話をした。勘三郎が冷静な顔して、籠釣瓶よくきれるなぁ~と述べていたの想定外でショックだったみたい。お江戸は侍文化、男のプライドを傷つけられるのを何より嫌う。上方は町人文化で情にもろい。お江戸にも下町人情があるが、その質は違う。見知らぬ他人の多かったお江戸では、身内より袖触れ合った他人を重んじたりする。関西人は、水くさいなぁって話になる事が多い。相手を気遣い、面倒をかけない様に、自分で何とかしようとしたりするから。自分は世話を焼くのに、世話を焼かれる事は少ないはず。関東の人は、あまり気遣いなく助けを求めたりする。柵がないからかもな。そんなにしてくれなくてもいいのにって感じになったりする。足並み揃えるって事を大事にするので、その場を丸く収めようとする。関西人にとっては、ぶつかり合って丸くなればええと思っているので、文化の違いを認識しなければならないところ。今でも、侍文化と町人文化の流れが確かに存在している。関西のおばちゃんとしては、最後まで八ツ橋の事を想っていて欲しいものなのかも。菊五郎でかかるんですよねぇ・・・って話をした。勘三郎が八ツ橋から愛想尽かしを受けた際、そこに愛情があり、最後まで八ツ橋の事を悪く思っていない感じがして、そこが大好き。プライド云々より粘液出しまくり。八ツ橋との楽しかった事しか浮かんでこない。恨んだりできない。自分の事は良いから、飲み直してくれって感じの事を言う時も、散々貶されているにもかかわらず、気を遣う。そんな風に見えるから。心の何処かで思っていたはず。こんなにうまい話は無いって。痘痕のコンプレックスだって絶対あるし。八ツ橋との出会いは、夢の世界でワクワクした感じ。だから、夢を見させてもらえた事だけでも感謝している。栄之丞を見かけた時、全てを悟っている(←まぁ、仁左衛門様ですから、完敗って思うだろうよ)。だから、後は、引窓で手配書が我が子ではない様にと、祈るような思いで手にする様に、愛想尽かしへと流れる。来る時が来た、そう言う感じだったと思っている。一旦引き揚げるが、八ツ橋の事を思い切れない。だから、殺しに行く。八ツ橋殺して自分も死ぬ覚悟。そうは思っても、揺らいでいる。だから、灯りは良い頃合いに持って来てと言う。本気で殺しにかかってるなら、手を叩いて持って来させるだろう。八ツ橋の顔を見ると、楽しかった事が浮かんできてしまう。愛想尽かしも、水に流すって言っちゃう。本当に水に流して昔に戻りたいと思っている。しかし、刀を目にしてギラついてしまった。だから、冷静。八ツ橋の息の根を止めてこそ、思い切れたと言う事だと思った。よく切れるのは、想いにかかってると。父親が母親を殺めた事により、祟りで痘痕になったと言うわけだから、この人がギラついてしまうのも因果。国芳の絵(←杜若艶色紫の絵だろうし)と印象が違う。そう言う人であって欲しい。だから、菊五郎と言われても・・・。吉原が夢の国に思えるのだろうか。よく知った場所やん。三津五郎の栄之丞を見て、全てを悟り、完敗だと思えるのだろうか。痘痕も、格好良い顔を崩す道具にしかなかない気がする。だから、気が進まない。菊之助の八ツ橋は気になってるけど。勘三郎の佐野次郎左衛門が、等身大で、仁左衛門祭りの源五兵衛や、松嶋屋と山城屋で観た封印切を観た後の様に、立ち直れない重い感じではなく、東京の人の話やなぁ・・・と思ったと同時に、東京の話でも、こんなに上方テイストな舞台があったんやと思っていた。吉右衛門の佐野次郎左衛門は、どこか絹商人と言うより、侍っぽいし、はにかみ呉服屋十兵衛の様だった。しっくりこない感じで、勘三郎の佐野次郎左衛門を観た時、探し求めていたものに出会えた気がしていた。そして、玉三郎さんじゃなけりゃ、トップの苦悩を表現できないだろうと。姫路時代の中間につきまとわれ、彼氏に恩を仇で返して来いと言われ、気に入らない客でもないから、色々思ってしまう。八ツ橋も後味悪く思っている。魁春の九重ができた人で、潤滑油。詫び入れを勧め、そうしたいけどきっかけがつかめないとこぼす。八ツ橋の純なところ、素人っぽさが垣間見れ、姫路時代がちゃんとあったと思える。秀ちゃん、我當夫婦が切り盛りする店は、少々西仕立てかもしれないが、ぼったくりに遭うから、と意見してあげる主人、店の女の子の失態に対応するママの様なやりとり。そこも好き。あの店主夫婦、できたチーママ状態の九重、真っ直ぐな勘九郎の治六等、周囲が温度を適温にしてくれるから、酷い話にならない。栄之丞、単なるヒモなのに偉そうで、別れてやっても良いと言う態度。男前のなせる業。惚れ惚れ。でも、八ツ橋が着物だけよこして会いに来ない事に機嫌を損ねてたりする可愛い人。話もそこそこに、身受け許すまじ!と乗り込むし。三津五郎の栄之丞、八ツ橋にマメに尽くしそうだし、捨てないでって感じにしか想像できないんですもの。色々あるにせよ、館長とこんな話をする様になったのだから、一見すべきって事なんだろうか。うーん、遠征費用もかかってるしなぁ…。

●熊谷陣屋(くまがいじんや)源平の一谷合戦の後、ここは熊谷直実の陣屋。木戸の脇に一本の見事な桜が咲いている。そこには制札が掲げられ、一枝(=一子、敦盛よん。当時は天皇至上主義ですから。血筋ある敦盛様って事よ。決して歌ってはいけない。ロック版♪人間50年~)を切るものは一指(=一子。敦盛様の為に身替り立てなさいって事。)を切るべしとある。義経の家来、弁慶が書いた制札。あらあら大変。何かの拍子で桜の枝が折れちゃったりしたら。こんなおっかないところ、とっとと立ち去ろうぜぇっと、世間話。そう、導入部分。侍と関わるとロクな事ないよ~あんたら正解。熊谷が沈んだ様子で帰って来て、しばらく制札を見て物思いにふけっている。陣屋に入ると東国にいるはずの妻、相模が初陣した一人息子の小次郎の身を案じて来ている。女禁の陣屋に押しかけて来たわけよ。過保護っちゃぁ、過保護なんだけど、それくらい可愛い人なのよ、熊谷の嫁さん。まぁね、ご法度の社内恋愛発覚して、敦盛ママに落としてもらった二人です。人間らしさがないとね。侍プライドより情って感じでさっ。感情の赴くままに突っ走る。相模は関西のおばちゃんだと思うよ、絶対に。熊谷は相模に押し切られたんだろうし。羨ましかったんだと思う、熊谷。自分はそんな生き方できないからね。だから、恋に落ち、新しい世界を知る。そうじゃなきゃ、もみ消すだろうよ、社内恋愛の事実。熊谷は妻を叱りつけるが、今日小次郎初陣の合戦で、自分は平敦盛を討ったと話す。そらそうや、家ん中ちゃうし、他の者達にも示しつかんし、何より、自分は感情を押し殺して忠を尽くして来たとこなんだから。すると、次の間からこの陣屋に逃げ込んで相模に匿われていた、敦盛の母登場。いきなり登場するので、敵討ちに乗り込んで来たんかって感じにもなりますが、さっき話したでしょ?あんたのダンナを殺れ!って行があるので、熊谷を斬りに来たんじゃない事くらいは、わかる。藤の方が、我が子の敵!と斬りかかってくるが、熊谷に押さえつけられてしまう。藤の方は直実と相模の以前の主人で、不義の咎をうけた二人を助けてくれた大恩人。その時身ごもっていたのが敦盛と同い年の小次郎。ここまでくれば、客には、熊谷の色々が手に取る様にわかる。でも、藤の方は、わかりませんよ。藤の方に、なぜ敦盛を討ったのか!と問い詰められて、熊谷は合戦の様子を物語る。一度は組み敷いた敦盛を逃がそうとしたが、源氏方の平山季重にとがめられ、やむなく首を討つ羽目になったとな。戦場の習い故と藤の方は悲しみにくれる。まぁ、藤の方、クールダウンってとこ。首実検に備えて熊谷が奥に引っ込み、藤の方が慰みに敦盛の形見である青葉の笛を吹くと、障子に写る敦盛とおぼしき影。しかし障子を開けてみるとそこには敦盛の鎧があるばかりだった。首実検の為に陣屋を出ようとする熊谷を、先程から陣屋に来ていた義経が呼び止める。その場で首実検をすると聞いた熊谷は、桜の側の制札を引き抜き、この制札のとおり、敦盛の首を討った!と首を差し出す。その首とは、熊谷の息子小次郎の首。敦盛は実は院の御落胤なので、助ける為に自分の子を討て!と制札の意味を解いた。息を詰めて見守る熊谷の前で義経は、敦盛の首に違いない。縁の人に名残を惜しませよ、と温情をかける。我が子の首を抱いて嘆き悲しむ相模の前を、義経と直実が敦盛を助けた件を頼朝に注進しようと梶原が去って行く。すると、どこからか石鑿(←いしのみ)が飛んで来て梶原は殺される。石鑿を投げたのは石屋の弥陀六。実は、昔頼朝や義経を助けた、平家の武将で平弥平兵衛宗清だった。自分が助けさえしなかったら今日の平家の没落は無かったろうにと悔やむ弥陀六。義経は弥陀六に敦盛が入っている鎧櫃を託す。熊谷は僧となって(←相模も出家する演出もあるそうな。平和ボケやん)陣屋を後にする。あたしは、吉右衛門の熊谷、藤十郎の相模、松也の藤の方の殺気が印象に残っていた。魁春の水っぽいメイクの藤の方も。冒頭、吉右衛門の熊谷が、藤十郎の相模をけん制する。ピリピリした空気。引き込まれます。落合嫁を監督できる落合だから、チームを監督できる、そんな感じ。熊谷、大きかったなぁ。松禄の熊谷が登場した時、正直小っちゃい・・・と思ってしまった。そら、舞台上で年上に囲まれてるし。舞台上の平均年齢を一人じゃ下げられない。魁春、できた嫁、わきまえた人。我が子可愛さに陣屋に押しかける感じには見えない、やっぱり。むしろ、熊谷のお世話しに来たんかと思える。このわきまえた嫁効果なのか、笛吹きなはれって行、あたしの子供やのうて良かったわって感じもなく、清らかな心で観る事ができた。秀ちゃんの藤の方も、できた人で、戦場の習いの一言で、心に言い聞かせようとしている様に思えたから。大人な二人。熊谷の口から息子の死を知った時のみ藤の方は、等身大の母。過剰に反応するわけでもなく、子を亡くした悲しみは、死を知った瞬間に封じ込めた様だった。そして熊谷達の前では気高い。それが内々の場で、笛なんか吹いてたもんだから、敦盛の鎧が敦盛に思えちゃった。より悲しみが増すわな。そんな藤の方を魁春の相模が的確にサポート。この人、ほんまに潤滑油。フォロー上手。内心、うちの子が死なんで良かったわ!(←それはそれで正直な意見で好きやけど。相模が藤の方に仕えていた頃、上に立つ藤の方を羨ましく思うのも自然で、それが女だと思うから。女の職場、ドロドロしてんもん。)とか、あんたの気が済むんやったら笛吹けば?って思ってんでしょ、相模はん!って感じでもなく、誠実さを感じた。藤の方の気持ち、元上司の苦悩を汲んでいた様に思えた。華やかな頃も知っているだろうから、尚更。主従関係上手くいってたんやと思う。藤の方に乗り込んできた様な雰囲気があると、こんな上司の下ではねぇって思ってしまう。でも、秀ちゃんの場合は、狂乱って感じではなく、品格があって良かった。相模のできた嫁効果で、熊谷が出家しても、この人は納得してるんだろうと思った。息子の死かて、覚悟してたやろ。いつかは・・・ってね。現実を受け止められる人だと思えたので、藤十郎の相模の様に、息子は夫に殺され、そんな夫には身勝手に出家されちゃって、この人、後々どうするんだろう・・・と、思う事もなかった。すっきりした気分で観ていられた。彌十郎の弥陀六は、嫌味じゃなくてええなって思ってたが、左團次の弥陀六は骨太。自分の仏心が戦乱の世の悲劇を招いてしまったって感じ。そして、義経嫌な奴。夜討したり、それが正解かも知らんけど、人としてどうかとってね(←梅玉兄さんのさめた感じがぴったり。あんたならやりそう。薄々やし。碇知盛に仇に思うなと言い放つ安徳天皇みたい。)。弥陀六は、人間らしい生き方してへん奴等、悲劇を起こしてる奴等、止められないこんな世の流れにムカついてるんじゃないかと。忠義の為なら何でもありですかい?ってね。弥陀六は相模、藤の方目線。戦地の民衆の様。世の中で自殺する人が増えていても、問題は雨なのに傘が無いって事なのよ。凄く厳しい顔で出家した熊谷を見ていた。立っているのが辛いからではないと思うよ。ただ、彼の語りは一定ペースなので、話ついて行けないと落ちちゃいます。そこが残念なんだわ(←体調万全じゃないと左團次の語り場=休息場となる事も。義太夫=子守唄にもなる。)。弥陀六さんが呼び止められてもシカトする辺りの飄々感、たまんないんだけどなぁ。そこからの、骨太。グッとくるんだけど(←あたしだけ?)。亀寿の板ばさみ堤軍次、松也は今回、亀井六郎(←胡坐をかいている)。急こしらえとは言え、松禄の熊谷と周囲とのバランスが悪いわなぁ。総出で熊谷のお世話をしそうやん。面倒見よさそうな二人に囲まれちゃぁ。松之助丈が梶原で登場して上々だったんだけど、石鑿投げられちゃうからね。嫌味の塊じゃない所が好き。梶原も社会人なんだし、情に流されてちゃぁ、出世できんわな。ここまで来て、松禄の熊谷はどうよ?って話。若いなぁ・・・と思った。書き込みの無い教科書。大御所の舞台って、苔を纏っている水掛不動であり、苔掃除して、その原形を知りたいとか思わないでしょ?熊谷はここから始まってるんだと思った。教えを忠実に、特に、松禄は瞬きのタイミングにまで気を払い、それがコントロールできる人。その辺りまで大切にしてくれる人、少ないもん(←米倉涼子も手術中瞬きしてませんでしたよ。やればできるはず。プロなんだし。)。お人形さんの世界を味わえる舞台だと思う(←現時点では未体験だし)。ともかく丁寧。だから、大きく見えてきます。踊れる人に、この瞬きコントロール効果が加わると、静と動のコントラストがつき、舞台映えします。ただ、凄いプロ技と思ったものの、ぐっとくるのは藤の方の苦悩、相模のフォロー、弥陀六の骨太部分だったりする。この話、大人の話だなぁと思っていた。團十郎の熊谷は女々しいと思ったし、今回も成田屋型なので、そうなっちゃうんだろうと思ってたけど、女々しいさは無く、若くて清らかな熊谷だと思った。身勝手な出家とも思わなかった。十六年は一昔・・・に向かって花道へ熊谷がやって来ます。笠の下で松禄の熊谷は泣きじゃくってました。子供みたいな顔して。そこまで涙をぐっと堪えて。今回、仁左衛門様の熊谷って事で、無い袖振りまくり、貯金切り崩してでも、無理しても、ここで観たかった。この笠の下の表情までわかる席でさ(←本人としちゃぁ、不本意やろうけど)。熊谷陣屋、大人の話やとは思えど、ええ話とは思えてない。だから、そう思ってみたかった。だから、丸ごと熊谷を楽しめるこの席で。もう、松禄の表情がこんなにばっちり確認できちゃった為、余計に無念・・・と思ってしまった。彼には悪いけど。それに開演前に代役は22日までと案内されちゃって、心乱れまくり。お人形さん観てから楽日だけでも駆けつけようかとか。でも、そんな事したら復帰せんわな。縁の無いものは追っちゃいけないんだ。万人の迷惑になっちゃうし。正直、集中できる状態じゃなかった。何度も感情を振り払う。正味、四日、正しい引窓と素敵な熊谷を観る機会が客に与えられた事だけでも、良しとせんとな。それに、その四日の内に観劇日がはまってたとしても、不完全な仁左衛門様を観たいか?と言われれば、それは避けたい。この間の團十郎の勧進帳みたいなのは嫌。いつでも魅了してくれないと、様付けできんわな。だから、心あるなら、どこかで引窓のやり直しと、あなたの熊谷かける(←かけるなら通しでかけて!客の懐に優しい国立か関西で)か放映してくれませんか?と言いたい。若さ溢れる松禄の熊谷、可愛くて個人的には好みだけどね。あの泣きじゃくりチラ見しちゃうとな。あたしの拍手、愛想じゃない。残念だったのは、仁左衛門様なら、絶対つけたであろう藤の方の匿われる経緯がわかる前をつけてくれるでなし。義太夫狂言、美声を楽しめるでなし。でも、満足している。松禄は、その代わりに、瞬きコントロールで表情をお人形さんの様に丁寧に表現してくれたので。仁左衛門様の実盛なんか、理屈抜きに格好良い。義太夫=子守唄になんか絶対にならない。義太夫狂言を楽しめないんだったら吉右衛門の熊谷で間に合ってる。だから、仁左衛門様じゃなかったら上から観劇してただろう。團十郎は歌舞伎十八番の誰かに見えてくるので、義太夫狂言は難ありだと思ったし、実盛をTVでチラ見した時、團十郎節だったので、止めて欲しいと思った。菊五郎の実盛、物語が格好良くない。吉右衛門の義太夫狂言は、いっぱいいっぱいな時がある。吉右衛門贔屓の母でさえダメ出し。義太夫狂言で魅了してくれる舞台を観られるなんて、運のええ話。迷ったんだよ・・・正直、熊谷よか、与三とか貢君とか、太平次とか、男前観たいやん。碇知盛も、何で知盛なん!とは思ったが、中村座でかぶりついて観たから、あの傷だらけの報われない知盛が心に残っているのかも。泣けるなんて思ってもみなかった。安徳天皇の為に死ねて本望だろうとすら思ってた(←吉右衛門、パワフルで元気なんだもん)。浮世絵かて、ドヤって感じで、出たよ!碇知盛って感じの印象やった。あんなに繊細な碇知盛観てもたら、他は観られませんね。今更。熊谷も、絶対に観たい!ってわけじゃないけど、素敵な美坊主付きだしって事で奮発したんよ。あんたじゃなきゃ、わざわざ下で観ないわよ。だから、やっぱり無念。不満はないけど。仁左衛門様は、相模の事を女と呼んで侍風吹かせません。女房ってね。松禄の熊谷が魁春の相模に、やい、女!と言っても背伸びに見えちゃう。残念ながら。吉右衛門の熊谷が藤十郎の相模に、様子を探りながら話す時、やっぱり無理。ほんまの事は言えん!ってなり、敦盛の首討ち取ったと話す。松禄の熊谷なら、魁春の相模に打ち明けても大丈夫なんじゃないかと思ってしまったし、仁左衛門様の熊谷が藤の方に敦盛を討った模様を物語る時、心残りは母の事って言いながら相模に目を配る。熊谷めっちゃ大人やん!これで、相模も藤の方もみんな察しがつく。後は、引窓のお幸が濡髪の絵姿と対面する行の様に運んでいく。それを観たかった。昼に引窓かけてる意味もあるってもんよ。制札を抜いた後、普通は懐紙で柄の泥を軽く叩く。松禄もそうでした。でも、仁左衛門様の熊谷は違う。感情をぶつける場所がありませんもの。懐紙で柄の泥を軽く叩いておしまいに出来るほどあっさりしてんのかねぇ、武士って(←木の根っこに蹴躓いたって、木の根っこにナンクセつけるのは、やっぱり庶民か。)。我が子の首、この制札に則り差し出したんだよ。その、武士なんだもの・・・を観るにつけ、武士じゃなくって良かったと、南北ものを観る気分になってた。仁左衛門様の熊谷の制札を扱う、その姿に涙したかった。この素晴らしい流れ。松禄の制札の見得。感情の激しさに感情移入する事はなく、普通に綺麗かった。染ちゃんの制札の見得、血筋やなぁ・・・吉右衛門に似てるわって思ったりしたっけな。そして首実検。吉右衛門なんか、あんたのお望み通りに首用意したわ!目ん玉かっぽじってよう見んかい!と、ここに感情の全てをぶつけている感じで、胸が詰まる。首桶突きつける。それを受ける梅玉兄さんの義経。武士は辛いよ、お互いにってね。團十郎の熊谷は、自分の趣向が、義経の意に適うかどうか、実検して下さいって感じで、首桶突きつけず、こそっとしてる。武士の縦社会を感じる。吉右衛門や仁左衛門様みたいに首桶突きつけるなんて発想はない。忠を尽くすしかないの。武士って悲しい。きっとこっちの方が忠実だろう。松禄の熊谷も首桶突きつけたりしない。若い熊谷さんには気の毒な・・・とは思った。あたし、仁左衛門様の首桶突きつけてる写真だけは持っている。その一枚だけでもグッとくる。首桶ドヤ!って感じじゃなく、本当に切ない。團十郎の熊谷は、縁の人に名残を惜しませよ言われても、首桶に触れる事すらない、と言うかできない。息子の首だもん。だから、女々しいなぁってね。十六年は一昔まで、ずっと女々しさが続く。相模が立って受け取る。仁左衛門様は蓋に乗った首を抱きしめ、階段に一歩足を踏み出して階段の途中まで受け取りにくる相模に右手で渡しながらしばらく二人で泣く(←芝翫型らしい)。関西のおばちゃんとしては、こういう家族感がないとね。町人文化ですから。愛する者の首を抱きしめないと納得しません(←小万の首かて同様に。敦盛唄ってる場合ちゃうってね。だから、南北かけられん関西では)。普通にこんな事したら浮きます。でも、仁左衛門様が冒頭から積み重ねて来ているから、藤の方も相模も義経も、みんな察しているからこそ、相模を女房と呼ぶ様な人だからこそ成立つ。感情を一点にぶつけるわけでもなく、思わずそんな行動を取ってしまう人間らしさ。熊谷陣屋はミステリーじゃありませんよ。サスペンス。敦盛が殺されたのか思ったら小太郎で、出陣するのかと思ったら、出家してって話じゃないよ。鎧→兜の順に脱ぐなんて滑稽。服脱いでから帽子取るようなもん。仁左衛門様は、ちゃんと兜から取ります。熊谷が念仏を唱える際、南無阿弥陀仏だっけ?って感じになる。あー!チャラい!だから、身勝手なんだよ、熊谷。あんな人ですって諦めた嫁以外は、人生返して!と言いたいだろうよ。仁左衛門様の熊谷は南無阿弥陀仏と言い切ります。覚悟が一貫している。本気で法然の教えに救いを求めようとしていて、とりあえず出家しとく?って感じにならない。だから、そう言う熊谷を観たかったの!本気の出家じゃなきゃ、杖とか笠とか、身支度整えてあげたりしないよね、相模さん。目元や眉尻から顳顬に描いた芝翫隈の松禄にパパみたい!と客席の声。あたしも、あの独特な翳、物悲しさを思いがけずに体験できて良かった。魚屋宗五郎も、菊五郎は正統派。松禄の宗五郎には、お酒が似合うと思った。花形歌舞伎だからってわけじゃなく、若さがあった。彼の若さは真っ直ぐさなのかも。その真っ直ぐさが邪魔しないのは、パパから受け継がれる独特な翳、物悲しさを兼ね備えているから。でも、あたしは知っている。笠の下の男泣きを。若いねぇ。松禄の熊谷。十六年は一昔、夢だ、夢だぁ・・・と諦めきれない苦悩を表現する点からしても本気の出家じゃない。でも、人間だもの、そんなもんか。團十郎の熊谷なんか、ここが女々しくて。玉付いてるんでしょ!って声かけしたいくらいだ。團十郎が南無阿弥陀仏だっけ?と言っても、こんなに女々しい人、いっぱいいっぱいなんやなぁって。仁左衛門様の熊谷は、夢であったなぁと悟っちゃう。丸腰なれば、もとの町人ならぬ、頭丸めりゃ、仏に仕える身なのさ。この法然の教えってのもミソで、庶民には縁遠かった仏教を大衆に広げた立役者の教えに救いを求める。西の香りもしますし。侍の金太郎飴な人は、絶対ハマらない信仰だと思う。出家って、兵役免除と言うか、治外法権と言うか、そんな側面もあったので、とりあえず出家が流行ってた。お金で解決!だったし。そんな中、法然を選んだわけよ。本気じゃなきゃ、選ばないわさ。仁左衛門様は、お人形さんをきっちり踏まえてくれる。だから、女殺で与兵衛は、不義になって・・・と言ってても、お吉に女を感じてないと言う。映画もそう。でも、お吉の店で話している与兵衛は、もう色男全開。本人にその気がなくとも。モテる男は、自然と醸し出せるんやと思った。だから、不義になって・・・が、額面通りに色の欠片も無く響くと、もう台無し。それって、舞台じゃないよ。与兵衛がお吉に対する恋心があったのかもって思えなきゃ、ほんまに酷い人やん。映画なんか、お吉は与兵衛の悪評を聞いても、自分はそうは思ってないって言ったりする。このやり取り。わくわくするやん。天ぷらや串かつ屋で、塩で食べて、とか言われるのには従いますが、ラーメン屋で、オヤジの気に入る様に食えってのは押し付け以外の何者でもない。客の想像力を信じて、振れ幅を与えてくれる舞台が好き。松禄の熊谷は、ふらっと入った店で提供される丁寧な味、そんな感じだった。●汐汲(しおくみ)叶わぬ恋の思いを艶やかに舞う格調高い舞踊。須磨の浜辺にやって来た藤十郎蜑女の苅藻は、汐汲桶に映る月影に、会うことの叶わない恋人への思いを馳せて舞を舞う。そこへ、苅藻に横恋慕する翫雀の漁師の此兵衛が現れますが、苅藻はあしらいながら去って行く。 須磨に流された在原行平が、海女の姉妹と恋仲となった伝説に基づいた能の松風を題材とした、華やかな舞踊。 博多で観ている。上からだったけど。わんわん泣いてない藤十郎だったけど、藤娘みたいにピチピチしてるわけでもなく、月日は確実に流れたんだ・・・と思った。踊りわからんちやし、最後に格闘するとこが無いと寂しい気分のまんまだったかもな。翫雀、やっぱり可愛い。●四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)無宿者の富蔵は、浪人の藤岡藤十郎と共謀して江戸城の御金蔵を破り、四千両もの大金を盗み出す。縄にかかった富蔵が江戸に送られる道中の熊谷宿では、別れた女房おさよ達が、雪の降りしきる中で富蔵との別れを惜しむ。富蔵は大罪故に牢内で幅を利かせますが、やがて藤十郎とともに仕置きが言い渡され、皆に送られながら仕置きの場へと進んで行く。 河竹黙阿弥が史実に残る御金蔵破りを劇化した異色の白浪物。度胸の良い富蔵と気の小さい藤十郎の対照も面白く、リアルに描かれた当時の牢屋の様子も見逃せないそうです。熊谷を舞台とした演目。熊谷繋がりですかい。序幕一場 四谷見附外菊五郎の富蔵が、お堀沿いに屋台のおでん屋を出していると、昔の中間仲間二人が通りかかる。二人は、煙草じゃ腹の足しにはなんねぇし・・・と、博奕ですっからかんになった身の上のボヤキ。富蔵は、そんな二人に酒とおでんをご馳走してやる。時々仲間に飲み倒されるのは閉口だ!と店じまいしながらも、そう満更でもない様子で二人を見送る富蔵。そこへ、駕籠やってきて、一人の浪人が姿を現す。こんな夜更けにこんな所で駕籠を下り、しかも履物を脱いで尻端折りをする。怪しんで声をかけると、それは富蔵の父の恩人の息子である梅玉兄さんの藤十郎であった。藤十郎は遊女を巡って恋敵の升酒屋の息子から百両を奪い殺してしまおうとしていた。富蔵は、金を盗るのは良いが殺しは絶対ダメだと強く反対する。富蔵の凄みに、藤十郎も従う(←菊五郎に言われたら誰でも従うわな)。藤十郎は、かなりの小心者。富蔵は藤十郎にもっと大きな仕事をやろうと、江戸城の御金蔵破りを持ちかける。静かに唆す菊五郎。今は堅気の商売をしているが、入墨者の血が騒がないってもんでもない。入墨見せたりするし。顔にへんなこしらえがあるわけじゃないし、菊五郎の培われた凄みが発揮される。いつもの菊五郎で良かったと安堵し、江戸の風を感じる。描かれていたお城も雰囲気満点。おでんを売りながら、昔馴染の伝次や九助と昔話を語らう場面、藤十郎が登場して、身の上話を聞くうちに、江戸城の御金蔵へ忍び入ろうと持ちかける行、梅玉兄さんの藤十郎がコロっと話に乗っちゃうあたりもええ。つくづく浪人が似合うよ、梅玉兄さん。小ちゃい人物とか。今、暴走できる人は石原と菊五郎だけだと思ってる。あの二人の暴走を止められる人は居ない。團十郎も、一時期、その気があったが、息子の不祥事なんかもあったからか、おさまっている。芝翫の初役桜丸が特例ではなく、悪例にならない事を望んでたんだけど、彼が旅立ってから、わがまま解禁!って感じになってて、みんなやりたい放題で・・・。好みじゃないなら観に来るなと言われても、幕見がない以上、付き合うようになる。そこも配慮して欲しいと思ってた。メニューがあるのに、これにしときな!と店主の提供したいものを食べさせられる、そんな気分ではなく、食べたかったものを食せた充実感。雑味ある江戸の粋しか好まない客にも大切にして欲しい。それ以外は、間に合ってる。あなたじゃなくても。そうこうするうちに菊之助の長太郎と言う掏摸が逃げてきて、その後を松也の升酒屋の息子が、どろぼう~!と叫びながら追いかけて来る。藤十郎より先に長太郎が百両を盗んじゃう。四人のだんまりで、百両は富蔵の手に入る。掏摸を追いかけるだけのつっころばし風の色男。菊之助の長太郎もチョイ出だが、こんなに色男尽くしの場を与えてくれる菊五郎に感謝した(←潰しじゃない事を祈る)。菊之助の長太郎の写真買い求めたくなるくらいで、足のチラ魅せは涎ものだった。熊谷を無念に思っても席得だわな。序幕二場 藤十郎内富蔵と藤十郎は、富蔵の働きで見事に御金蔵から四千両を奪い取ることに成功する。小判を盗み出し、隠し場所を相談。金の使い方を教える富蔵のあまりの細心な豪胆さに怖くなった藤十郎はいきなり富蔵に斬りかかる。父親の恩があるから助けたのに、斬りたいなら斬れと開き直る富蔵に平謝りの藤十郎。この薄さも梅玉兄さんならでは。こう言うのなら大歓迎!富蔵はお金は、足がつかない様に、時節を待ってから使うべしと説く。富蔵の人となりが現れる。菊五郎、格好ええわ。二人は畳をはがして床下に四千両を埋める。藤十郎が怖くなって富蔵に斬りかかる。それを押さえつけた富蔵が江戸前の啖呵を切る。適材適所だし、雑味ある江戸の粋を堪能できて満足。ここまでかな、あたしがノリノリだったのは。二幕目 中山道熊谷土手雪の降りしきる中を唐丸籠の一行がやって来る。罪人は富蔵。えー!捕まってる。何で?何があったん(←そう言うお話ですから)?唐丸籠に菊五郎。そう、唐丸と言っても空担ぎはできず、菊五郎本人を乗せて担がなければならない。花道で力いっぱい、体が震えてしまうほど力を出さないと担げないので、罪人の辛さより、担ぎ手が気の毒だった。ちょっと担がれるだけなのに体重を落とした松禄は、つくづくええ人やと思った(←勝手に。菊五郎に痩せなさいと言ってるわけちゃうよ。痩せたら菊五郎じゃなくなっちゃうし。)。熊谷の土手で一休みする一行。そこへ悪~い奴である眼八が役人の許しを得て富蔵に面会するが、実はかつての意趣返しが目的だった眼八はさんざん悪態をついて唾を吐きかける。團蔵の眼八は、こう言うブイブイって何処にでも居るよねぇと思いつつ、髭生え放題の富蔵がより惨めに見えた。舞台上とは言え、菊五郎に唾した團蔵にお礼参りが無い事を祈った。籠付きの八州同心浜田左内がこれを窘め追い払う。彦三郎の浜田左内はわきまえた人。今度は、三人連れが面会を求めてやって来る。東蔵のうどん屋六兵衛、時蔵の娘おさよ、おさよの娘であるお民。富蔵とおさよは八年前に離縁した元夫婦で、お民は二人の娘なのである。富蔵は類が及ばないよう、八年前に絶縁した赤の他人だと言い張るが、別れを惜しむ三人は引き下がらず、左内は腹痛を起こしたことにしてしばしその場を離れ、家族だけの別れの時間を作ってやる。富蔵は六兵衛達が眼八に騙されて金を借りていたところを救っていた。借りた金は五両なのに、勝手に十と書き加えられ、借金は五十両だと迫られていた。それを救った事を根に持っていたわけよ、眼八は。さすがの富蔵も娘に、盗みをすれば縄かけられて牢に入れられるのはあたしも知ってる事なのに、ととさんは知らなかったのかえ?と窘められて泣くしかない。かつて自分の苦境を救ってくれた富蔵を罪人として見送らなければならない六兵衛なのだが、東蔵では泣けないあたし。竹三郎なら顔みただけでも泣けちゃうのに。時蔵のおさよが離れていく籠に向かって、富蔵の名を呼び絶叫するが、泣けない。子供までもうけて別れちゃう人、嫌いなの。どんな事があっても。子供が食べて行ける様になるまで、どんなに酷い事をしたって死ねない。そんな責任持てないから、あたしは子供欲しくない。籠の中の富蔵が最後まで、お民!と娘の名を呼び泣いていたが、盗人家業してた身で、何故子供をもうけたのか?と思う。堅気だからってチャラにはならんし。伴侶を得るのは構わないが、子供はいけないよ。泣けるんだろうが、例え、お話であっても、そう言う理由で泣けません、あたし。同心として、罪人に対してでも不条理な事をする者は許さん!と言う正義感と重厚さと温情をもった彦三郎の左内の方に泣けちゃう。ええ人や。腹痛を理由に、名残の場を提供するんよ(←吉田松陰の腹痛を踏んでるんか?)植木等が、天丼とカツ丼頼んで、お腹いっぱいになっちゃったから食べてと、自主的に昼食抜きで車を磨き上げた、当時運転手をしていた小松政夫に昼食を取らせたみたいで。三幕目 伝馬町西大牢幕が開くと下手の高いところに左團次の牢名主松島奥五郎、上手、牢名主よりやや低いところに家橘の隅の隠居が控える。その間に亀三郎の頭、権十郎の数見役、富蔵、亀寿の三番役、菊市郎の四番役、菊十郎の親方が、畳に座っている。罪人ずらり。この牢内には、しきたりがある。高いところにいる牢名主と隅の隠居は別格として一人一畳の畳を敷いている。その中で富蔵がすべてを仕切っている。牢名主にお伺いを立てたながら、新入りに素性や罪状を言わせたり、蔓と呼ばれる金品を受け取ったり、しきたりに従わない者に仕置きを喰らわせたり。富蔵に呼び出された新入りはみんなの前に跪き、素性や罪状を語るのだが、威勢よく喋る若い者から、小さな罪で捕まってびくびくおどおどしている堅気の男も。そう、この堅気こそが、松之助丈なの!そして、その跪き方、普通に両足を揃えているの他、松緑の浅草無宿才次郎と、菊之助の寺島無宿長太郎(←寺島やし)、萬太郎の下谷無宿九郎蔵の三人は片方の足首の上にもう片方の足を載せ、親指と人差し指で下の足首を摑む様。長太郎は白塗りの色男なので、それだけでも仕置き免除やん。按摩が得意だとかで、早速牢名主に気に入られる。眼八が新入り。仕切っているのが眼八に遺恨のある富蔵なのに、牢内でも態度が悪く、態度が悪かったエピソードを罪人達に列挙されちゃう。牢名主が持つ板で十回富蔵に叩かれる。富蔵のおでん屋に来た元仲間の二人(←富蔵がおでんおごってあげてた)にも牢内で再会。地獄の沙汰は金次第、牢内も金次第。鈴ケ森みたいに、ここは地獄の一丁目で二丁目は無い。新入りは何かと工夫をして、蔓を持ち込むのだが、その額次第で扱いも変わる。眼八を叩いた様に、富蔵が板(←神棚の前で一応板を清めるような仕草をしていた)で床を叩いて新入りに喝を入れる、その入れ方が金次第できつかったりゆるかったり。貧乏人はここでも哀れである。松之助丈は金で解決。仕置き免除だった(←ホッ!)。桂三の間男萬九郎は田舎役者だと言うので、すってん(←裸)踊りを踊らされる。萬九郎は震えながら、下帯だけはご勘弁を!と言って踊り出す。間男が裸で踊らされちゃう。何かええ感じ。牢外から時々差し入れがあったりする。小さな扉の前の畳を上げ、そこから物を受け取る。牢内に色々告げる役人。家橘の隅の隠居は長年牢に棲みついているような暗さ、一方の左團次の牢名主だから長年牢に居るが、大らか。愛情たっぷりだからね、左團次。牢内のしきたりに背く人間には厳しいが、それなりに仲間としての情がある。明日、いよいよお仕置きになる富蔵へ牢名主が仕立て下ろしの唐桟の着物と博多帯を贈り、立派に死んで来い!とばかりに隅の隠居は紙で作った数珠を与える。牢の中でも、寝起きを共にすると組織ができちゃう。娑婆に出られる罪人を通じて家族に伝えることはないかと尋ねられた富蔵の願いは、一目娘に会いたいと(←娘の方は縁談にヒビくとかで会いたくなかったりするもんだけどな)。大詰 牢屋敷渡し翌日、西の牢から富蔵が、東の牢から藤十郎が引き出されてくる。あんたも捕まってたのね。わっちは、あんたが役人に富蔵を売ったんかと思ってた。富蔵同様、堂々と引き回しのうえ磔という刑を受け入れる。後に二人はそれぞれの牢に向かって、お題目を!と声を張り上げる。両方の牢から仲間たちの南無阿弥陀仏の声が流れてくる。牢内にみんな集まって来ちゃうあたりの因果は趣あるけど、冒頭の菊五郎の雑味ある江戸の粋が忘れられずに終わっちゃった。牢内社会見学ってところ。この演目、前進座で観たら違った印象になるだろうな。松禄の熊谷を観て、未練を断ち切れた気がする。あんなに目を開いた顔を拝みたいかと言われたら、勘平の方がええし。左團次と引窓は、やっぱり未練だけど。脳裏で合成しちゃおう!

【写真】笑顔の小松さん。今年3月に撮影された。

その後もアルバイトを転々とした小松さんは1962年、事務機器の販売の仕事につき、持ち前の“トーク”とアイデアでコピー機を販売する優秀なセールスマンになる。そしてあるとき、横浜の自動車販売会社にコピー機のセールスに行った小松さんは、そこで車のセールスマンにスカウトされた。

売り上げも上々で生花店の社長に気に入られ、支店をまかせるという話になったという。しかし、支店の完成直前、社長の長男が交通事故で亡くなり、そのショックで社長が廃業。小松さんは生花店を辞めることになる。

「小松の親分さん」、みじめ、みじめのフレーズでおなじみの『しらけ鳥音頭』、黒ぶちメガネと上下に動く眉の小道具を用いた映画評論家・淀川長治さんのモノマネなど、数多くのギャグで知られる小松政夫さん。

病気上がりでからだも疲れているし、運転手を雇ってくれって渡辺プロに言って、募集したら600人もの人間が集まってね。それで私の経歴を見て『なんでこいつがくるんだろう?』と思っちゃったんじゃないですか(笑)」

小松政夫、エリート営業マンから月収7000円に!それでも、植木等さんとの日々は「夢のよう」

酒断ち、パスタ断ちして願掛けしてたんだけど、ダメなものはダメだし、舞台復帰を祈ったりした後直ぐに、財布落とすわで、この国の神さん、はした金では願いを聞く気なし。相性悪いんだか。やっぱり素敵なガラス達じゃないと守ってくれないと悟った。まぁね、神事に参加よか、ミサに参加してるしな。法事とかはやるけどさ。だから、解禁して、今までの分、呑んで食ってやった。ご縁の無いものは、ご縁が無い。ゆっくり休んで下さいましなって言える余裕無いよ(←余程の金持ちか、どうでもええ人しかおらんわ)。醒めた身共~だと知ってたら、一回は上で観たがな。花道も関係ないし。大体、仁左衛門様と左團次が手を取り合うところを楽しむ為に席取りしたんだよ。梅玉兄さんと、左團次が手を取り合って何があるの?と管巻き。今月は酉の市、来月は羽子板、更に顔見世と入用なんだよ。歌舞伎って、貧乏人には厳しい。DMのgigの時だって、飛行機も宿も取ってるのにー!って悲鳴の呟きだらけやった。さらに、おいらの国までに治ってくれればええって感じ丸出しな呟きとかね。それが本音と言うもんだ。あたしはどうなるのかと日々過ごし、病状から無理っぽいと判断。だって、腫瘍があったんだもの。だから、どうやって異国で過ごそうかと思案して、気の毒な悲鳴の動画を観たりして、もう胸が詰まる想いだった。彼らがそこに居て、元気に歌ってくれれば良いと思ってる。いつも。まぁ、gigがキャンセルになれば、チケ代も戻るかリスケになるし。だから、目当てが一曲歌って帰ってもて、しかも、自分が遅れれて、着いた時には、目当ての次のバンドの客がスケ早めろって言ってるフェス会場状態やわな。DMの時、あたしは渡航日を変更できたから、諦めていた松嶋屋一世一代を観る事ができた。それは結果的に後悔ないものとなったが、今回の件に関しては、かなりの考えもの。前もってチケ取りするには、気に入った代役が居るか、その人がやってくれるかまで考慮せなあかんのかと。梅玉兄さんなら、別の演目でみたいし、引窓なら、別の人で観たい。誰が出るかわかりませんって方が、まだ楽しいかも。三回も付き合うあたしは、正直言ってお腹いっぱい。朝も早から新橋くんだりまで、あーしんど。

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