政府要請でライブ中止、どう思う?

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政府要請でライブ中止、どう思う?
[MARKOVE]政府の大規模イベントの中止・縮小要請を受けて、大手レコード会社所属アーティストのコンサートが中止に追い込まれました。あなたはこの判断をどう思いますか?[/MARKOVE]
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政府要請でライブ中止 どう思う

事態の深刻さに対して日本政府のやる気の無さがよく分かります。

日本も「不要不急の外出を控える」というお題目だけでなく、小劇場を含めて、観劇に来ている人が安心して見られるような対策に政府が動くべきでは? と思います。

コロナウィルスに過剰反応し過ぎだと、ハッキリ書いておく。イベントやライブなどだけ自粛を要請されてるけれど、満員電車はどうなんだ。駅前の混雑、人混みのオフィス街、街中の飲食店はどうなんだ。実演家だけが割を食うのは全く納得できない。補償も当然考えて欲しい。

Report by 柴山順次(2YOU MAGAZINE)Photo by タカギユウスケ2020.3.1OLEDICKFOGGY "POPs TOUR 2020"@名古屋 池下CLUB UPSET3月1日、晴天。しかし心はどこか晴れず。この国を覆う空気感がそうさせているのは明白で、2月26日の政府からの要請以降ライブハウスを取り巻く環境が日に日に変わっていくことが気を重くさせる。あの日以降、止む無く公演を延期、中止を選択するアーティスト、ライブハウスが増え、SNSを開けば延期、中止の文字が飛び込んでくる。しかし、開催の選択も、延期・中止の選択も正しい。「不要不急」とされた音楽は誰かにとっては不要で不急なものなのだろう。しかしまた誰かにとっては生活の一部、いや、生活の全てだったりもする。その選択は誰かの物差しでは決して測れないし自分の物差しだけだったら測れてせいぜい30センチだ。他の誰でもない、自らの選択でOLEDICKFOGGYがライブをするから、自らの選択でライブハウスに来た。そんな当たり前のことを、当たり前だと言い聞かせながらライブハウスに向かう。

今回のツアーでTAKEが無期限の長期休養に入ることが否が応でも頭に浮かぶ叙情的な感傷的なナンバー「春を待つように」のエモーショナルも凄まじかった。「月になんて」で「躊躇いと勇気は似ている」と歌った彼らがTAKEの休養のタイミングである今「春を待つように」では「分かり切った結末に飛び込む勇気が欲しくて」と歌っている。何が怖くて、何を求めているのだろう。あらゆる選択を迫られたとき、そこに付随する勇気や躊躇いについて考えるとき、きっと今日のOLEDICKFOGGYのライブを思い出すだろう。バブリーでバブルガムな世界観で情事を描いた「不毛な錯覚」はライブでどう演奏されるか楽しみだったナンバー。見どころはやはり「エナジー」「トリガー」のコーラスだろう。ソウルフルなコーラスがスージーのTシャツをまるでタキシードのように見せる。こういう隠し技のようなニュアンスの入れ方もOLEDICKFOGGYの面白さだ。場末のクラブ感から覚醒する「土蜘蛛」、「目の前にある其の真実が現実だ」と叩きつける「blow itself away」と感情的な曲が続く中で演奏された新境地ともいえる変拍子曲「レインコート」の異質さもライブにバリエーションを加えるポイントとなっていた。耳に残るリフをストレートではなく変拍子で聴かせる手法がこれまでのOLEDICKFOGGYでは見られなかったアレンジだ。このポリリズム的ニュアンスはライブでもばっちりはまっていた。

しかし、ライヴハウスやクラブのよさは、そこに人が集まって音楽を楽しむところだと思っています。新型コロナウイルスの終息後に、そのよさをもう一度取り戻したい。だからこそ、今からどうするべきかを考えていきたいんです。

会場のUP SETの階段を登りフロアに入ると思った以上に人が少ない。ここで誇張しても仕方がないからはっきり書くが、開始10分前の段階ではとても満員と言える状態ではなかった。同日の名古屋では他のライブハウスでも軒並み公演が中止となっていただけに、仕方がないことだとは思ったが、今回のツアーを以ってベースのTAKEが無期限長期休養に入る為、名古屋でTAKEを含めたOLEDICKFOGGYが観れるのは一旦最後となるこの日、ステージの上で出番を待つウッドベースを眺めながら未知のウイルスを心底憎いと思った。考え込んでいたからか、ネガティブな気持ちが前に出てしまっていたのか、しばらく気持ちここにあらずだったことは否めない。我に返ったのはライブ開始1分前のことだった。いつの間にか満員になっていた会場、SEもなく、ステージに次々と現れるメンバー、楽器を手にしたと同時に雪崩れ込むように演奏が始まった。「シラフのうちに」だ。この瞬間、何かが弾けた。それは自分だけでなく、後ろにも前にも右にも左にも、爆発的に伝わっていった。まるで線を引かれたみたいに変わってしまったあの日とあの日以降の日本。しかし目の前のOLEDICKFOGGYが「昨日までは良かった」なんて台詞を飲み込ませてくれている。今日、この日、この曲を1曲目に演奏したことが偶然なのかどうなのかは分からない。確かなのはOLEDICKFOGGYがたった1曲で「こんなはずじゃなかったんだろう」とフロアに火を点けたということだ。

「政府の見解」があった以上、大手主催と公共劇場が一部(もしくは期間中の全公演)を中止するのはやむをえないのかもしれない。

今回のような、新型コロナウイルス感染症は対象に含まれるのだろうか。ハフポスト日本版が大手保険3社に確認したところ、感染拡大による中止も補償対象にできるのは1社だった。感染症を補償対象とする契約がある保険会社の担当者も、「稀な例だ」と語る。「興行中止保険は、オーダーメイドの保険です。新型コロナウイルスが原因でイベントが中止となった場合に保険金が支払われるかどうかは、契約内容次第です。ただ、支払い対象としている契約の方が、数としては少ないのが実態です」保険の内容は各社や契約ごとに異なる。補償対象となるのは、台風などの悪天候や公共交通機関の事故、アーティストの急病やけがなどの理由による中止が一般的だという。

政府は2月25日に発表した基本方針で、イベントの自粛判断について、会場の状況などを踏まえて開催の必要性を改めて検討するよう求める内容を盛り込んだ。いざ中止となれば経済的な損失も大きく、主催者や演者側は苦渋の決断を迫られることになる。

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大は、世界をどう変えるのか? いま知っておくべきこと、研究開発のいま、社会や経済への影響など、『WIRED』ならではの切り口から最新情報をお届けする。

これに対して「神対応」という声や、「ビジネス面で勇気のいる決断だったと思う」という意見も上がった。政府は2月25日に発表した基本方針で、イベントの自粛判断について、会場の状況などを踏まえて開催の必要性を改めて検討するよう求める内容を盛り込んだ。いざ中止となれば経済的な損失も大きく、主催者や演者側は苦渋の決断を迫られることになる。「興行(イベント)中止保険」新型コロナ感染症は対象?保険会社は「興行(イベント)中止保険」を提供している。コンサートやスポーツイベントが、台風などの悪天候で開催できなくなったり、交通機関の事故で観客が来られなくなるといった理由で中止となった場合、生じた損害を補填するサービスだ。

大阪のクラボウは研究用に新型コロナウイルス交代を検出する検査試薬キットを今月16日から販売開始予定。価格は10検体分で税抜2万5000円。少量の血液で検査可能で15分で感染の有無を判定する。特殊な装置や専門知識は不要。販売先は衛生研究所などの研究・検査機関としている。専門家はインフルエンザでみられるタイムラグが発生する場合などデータがなく不明な点は多いが朗報であるとした。一方で指定感染症の指定されているため、陽性患者が増えれば医療崩壊の危険もあるため、制度をどう調整するかが課題となる。

OLEDICKFOGGY "POPs TOUR 2020" LIVE REPORT!!2020-03-12 19:00Report by 柴山順次(2YOU MAGAZINE)Photo by タカギユウスケ2020.3.1OLEDICKFOGGY "POPs TOUR 2020"@名古屋 池下CLUB UPSET3月1日、晴天。しかし心はどこか晴れず。この国を覆う空気感がそうさせているのは明白で、2月26日の政府からの要請以降ライブハウスを取り巻く環境が日に日に変わっていくことが気を重くさせる。あの日以降、止む無く公演を延期、中止を選択するアーティスト、ライブハウスが増え、SNSを開けば延期、中止の文字が飛び込んでくる。しかし、開催の選択も、延期・中止の選択も正しい。「不要不急」とされた音楽は誰かにとっては不要で不急なものなのだろう。しかしまた誰かにとっては生活の一部、いや、生活の全てだったりもする。その選択は誰かの物差しでは決して測れないし自分の物差しだけだったら測れてせいぜい30センチだ。他の誰でもない、自らの選択でOLEDICKFOGGYがライブをするから、自らの選択でライブハウスに来た。そんな当たり前のことを、当たり前だと言い聞かせながらライブハウスに向かう。

経済への影響も本当に心配。すでに10-12月のGDPが急減してたのに1-3はそれどころじゃないと思う。もう経済危機レベルでは?楽しみとお金を奪われて、どうなってしまうの日本?

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