震災10年 住民が震災前の1割に満たない浪江町が目指す 水素の地産地消
東日本大震災から1月11日で3年10カ月。津波で大きな被害を受けたいわき市平豊間地区の復興商店街「とよマルシェ」は15日にグランドオープンする。店主たちはそれぞれの困難を乗り越え、自分自身と地域の復興を目指して再起をかける。一方、東京電力福島第1原発では4号機の使用済み核燃料プールからの燃料取り出しが完了した。今後は他号機でのさらに困難な作業に移り、東電にとっては正念場の年となる。
東日本大震災、東京電力福島第1原発事故から8年が経過しようとする中、被災者の住まいの確保のために建てられ、その役目を終えつつある仮設住宅を再利用する動きが出ている。宿泊施設や移住定住促進住宅に生まれ変わったほか、福島県外に運ばれ、西日本豪雨や大阪北部地震の被災地で家を失った人々の生活を支えている。
県や観光関係者は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で大きく落ち込んだ本県への教育旅行の復活に力を入れている。本県での学びを体験してもらうのが最優先だが、関係者にとって、教育旅行で本県を訪れた子どもたちが大人になって観光客として再び本県に来てもらうための「先行投資」としての意味合いもあるからだ。ただ、震災と原発事故以降は、被災地学習という新たなテーマも加わり、本県への教育旅行の目的も変わってきている。
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故は2月11日、発生から2年11カ月となった。原発事故で自粛されたいわき沿岸の漁が3月、試験操業の形で3年ぶりに動きだす。一方、廃炉作業が続く第1原発は汚染水問題が解決できていない。政府、東電は対策の着実な実行に向け、組織を改編し体制を強化する意向だ。原発事故の影響が今も大きい避難区域では、地元事業者らが除染や住民の帰還への作業を続ける。復興の加速化への県民の思いはさらに強まっている。
福島県に未曽有の災害をもたらした東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から間もなく4年6カ月を迎える。いまだ約11万人が避難生活を続けている一方、避難指示解除に向けた市町村の動きも進みだした。しかし、学校、仕事など避難元で暮らしを再開するための課題は多い。避難地域以外でも県民らは農産物への風評などと闘い続けている。復興への歩みを進める上での課題や現状をシリーズで追う。
東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が出た双葉郡の町村で、地域に密着して防火活動などに当たる消防団員の不足が深刻化している。消防職員のOBがパトロール隊を結成したり、町職員が消防団員になったりと、帰還する住民の安全確保に向けて試行錯誤が続く。
東日本大震災で発生した津波は、福島県沿岸部に大きな被害を与えた。被災から9年以上が経過し、政府は津波被災地を「復興の総仕上げの段階に入った」と表現する。かつて多くの人が生活の場としていた土地は、どのようになっているのか。津波被災地の現状を追った。
東京電力福島第1原発事故に伴い避難した町村で、地元以外の出身の職員の割合が増えている。復興に携わりたいと熱意ある人が志願したことなどがその理由だが、東日本大震災前の町の姿を知らず、町や住民とのつながりをどのように築いていくかが課題となっている。
東日本大震災、東京電力福島第1原発事故の発生から、8月11日で3年5カ月となる。今年はお盆の特例宿泊が最長1カ月に延長された。避難先から久しぶりに自宅に戻った住民は、犠牲になった人や先祖に対する墓参など、それぞれの思いを抱きながら過ごしている。南相馬市では、特例宿泊を見守る女性2人の取り組みに密着した。
東日本大震災から10月11日で3年7カ月を迎える。東京電力福島第1原発事故による農業への影響は現在も続いているが、今秋から県北地方特産の「あんぽ柿」の加工再開モデル地区が昨年の3倍に拡大されるなど、農業復興に向けた取り組みも広がっている。一方、中間貯蔵施設は来年1月の搬入開始が見通せないため、除染で出た汚染土壌などを一時保管する仮置き場について、環境省は「3年程度」としてきた設置期間を1年単位で延長を要請する方針を示した。ただ、期間延長について住民らの理解を得られるか先行きは不透明だ。
東日本大震災、東京電力福島第1原発事故の記憶や教訓をつなごうと、福島県内で語り部たちが活動を続けている。「命の大切さを伝えたい」「被災した経験を後世に残したい」。その思いはさまざまだ。ただ、語り部の高齢化や伝承技術の向上、活動資金の確保など活動継続に向けた課題は多い。
東日本大震災後に開業した仮設商店街・店舗の経営者らの中には「震災前の店舗での再開をどうするか」「客足の減少にどのように対応するか」などさまざまな悩みを抱える人がいる。一方、観光スポット化し、店の経営が軌道に乗っているところもある。被災者の生活を支え、復興の一翼を担ってきた仮設商店街・店舗の現状を追った。
東京電力福島第1原発事故の避難指示が解除された地域で夜のまちに店の明かりがともり始めた。かつて居酒屋などを経営していた人が地元で営業を再開し、住民や作業員の交流、癒やしの場となっている。ただ帰還する人が少ないなど、昔のようなにぎわいを取り戻すには時間がかかりそうだ。
東日本大震災から数年は多くの避難者が居住していた仮設住宅だが、震災5年10カ月を迎えた今は復興公営住宅整備や住居再建などで入居者が大幅に減った。応急的な住まいからの自立が進んだといえるが、一方で生活を続けている避難者もおりコミュニティー維持に課題も生じている。「仮設住宅の今」を探った。
東日本大震災、東京電力福島第1原発事故は12月4日、発生から1000日目を迎える。巨大津波にのみこまれた本県の沿岸部では、今なお津波の記憶が被災者の心に傷として残る中で、津波を受けても生き残った一本松を「住民が生きた証し」として保存する活動が生まれた。浜通り北部では、生活再建に向けて災害公営住宅で新しい生活を始めている。住民が着実に復興への一歩を踏み出す一方で、県内外に避難する14万人弱の県民への支援や、来春完了の目標を断念した災害がれきの処理など国、県などの復興の取り組みは歩みが遅く、県民の復興への実感は薄い。
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