森喜朗氏がひっそりと最高顧問を辞任していた 「五輪レガシー財団」 銅像はどうなる?〈週刊朝日〉(AERA dot.)

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森喜朗氏がひっそりと最高顧問を辞任していた 「五輪レガシー財団」 銅像はどうなる?〈週刊朝日〉(AERA dot.)
[MARKOVE] 2月12日に東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長を辞任した森喜朗氏。その名前がひっそりと、ある財団のホームページの「最高顧問」の欄から消えていた。その財団とは、一般財団法人の「日本スポーツ[/MARKOVE]
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森喜朗氏がひっそりと最高顧問を辞任していた 五輪レガシー財団 銅像はどうなる週刊朝日

今夏に迫った東京五輪・パラリンピック。その組織委員会の会長辞任劇は国内だけでなく世界からも注目されました。低迷する開催機運のさらなる逆風にもなっています。この騒動にスポーツアパレルを扱うドームで社長を務める安田秀一氏は大会組織委の問題から、日本社会に残る無意味な風習にまで考察を広げています。

「東京五輪後の組織委の解散後も、森氏を中心とした組織委の影響力を継承・維持することを念頭に作られた団体です」

米ロサンゼルス市が招致した際、当時の五輪は経費が膨れ上がって瀕死(ひんし)の状態でした。84年大会招致に立候補したのはロサンゼルス市のみ。しかもロサンゼルス市は財務保証はしない、赤字の補填も責任も負わないという条件でした。もし84年大会が失敗していれば、五輪の歴史は終わっていたはずです。では、当時の五輪組織委員会であった南カリフォルニア・オリンピック委員会(SCCOG)と、ユベロス氏の具体的な足跡をみてみましょう。

【写真】実は森喜朗氏と同じ高校出身だった!意外な人物とは「東京五輪後の組織委の解散後も、森氏を中心とした組織委の影響力を継承・維持することを念頭に作られた団体です」

ここに現れたのが1984年のロサンゼルス五輪金メダリストの山下泰裕氏だった。実は山下氏と森氏の間には太いパイプが存在する。それはあらためて後述するが、山下氏が2019年6月、JOC会長に就任すると、最初に手をつけたのが理事会の「非公開化」だった。

東京五輪組織委会長を辞任した森喜朗氏(代表撮影) 2月12日に東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長を辞任した森喜朗氏。その名前がひっそりと、ある財団のホームページの「最高顧問」の欄から消えていた。その財団とは、一般財団法人の「日本スポーツレガシーコミッション」。スポーツ関連の団体の連携を図ったり、スポーツの発展を支える人材づくりに取り組んだりする目的で2020年3月に設立されたという。内情を知る政府関係者が語る。

「68億のうち20億は、今後移転整備される秩父宮ラグビー場内に19年W杯を記念した博物館を整備することなどに充てられる方向。『ハコモノ』に使われることにはラグビー関係者内に異論もあったが、森氏が副会長、御手洗氏が会長を務めるW杯組織委の主導で決めた。敷地内に森氏の功績を称える銅像を建てるという話もあると聞きました」(前出の政府関係者) 日本スポーツレガシーコミッションに取材すると、森氏は「本人の申し出により、最高顧問を辞されています」とのこと。財団の目的などついては「当法人はスポーツ政策の推進のためのレガシーの定着に取り組むものであり、国際大会の剰余金の受け皿や活用のために設立した意図は一切ありません」。銅像建立については「承知しておりません」。東京五輪組織委を通じて森氏にも取材を申し込んだが断られた。

こうしてユベロス氏は五輪の救世主となりました。その手法はその後、IOCが積極的に取り入れ、五輪だけでなくスポーツ界全体に広がり、スポーツビジネス全体を急成長させました。これこそ功績と呼ぶべきものでしょう。彼は五輪やスポーツの未来を輝かせる新たなアイデアを考案し、具現化したのです。ユベロス氏は学生時代、水球選手として五輪の代表候補になりましたが、出場はしていません。スポーツ界とは無縁の業界にいたので、IOCはもちろん、国内のスポーツ団体にも行政にもなんらコネもなく、それこそ知恵を絞り、徒手空拳で保守的なIOCを説得していったのです。つまり、五輪が巨大な商業イベントである以上、評価されるべきは能力であり、政治力ではありません。

コロナ禍によって1年延期された東京五輪が今年7月に開催できるかどうかを決める期限が迫っているときに飛び出した女性軽視発言に「いや、参った。内容も内容だけどタイミングが悪過ぎる」と競技団体関係者は突き放す。

どういうことか。設立時の資料をみると、財団の主要メンバーには、最高顧問に森氏と御手洗冨士夫キヤノン会長兼社長CEOの2人をすえ、会長に河村建夫スポーツ議員連盟会長代行、理事長に遠藤利明東京五輪組織委会長代行らの名が並ぶ。傘下の「特別会員」には、日本スポーツ協会(JSPO)、日本オリンピック委員会(JOC)といった主要団体が加わり、それぞれの会長ら幹部が「評議員」や「理事」などとして名を連ねている。

一連の騒動を見ながら、僕は37年前の五輪とそれを取り仕切った人物のことを考えていました。五輪の歴史に関心があれば、1984年ロサンゼルス五輪の組織委員長を務めたピーター・ユベロス氏の名前は聞いたことがあるでしょう。彼は五輪に商業主義を導入した存在として知られています。でも、彼がどんな経歴を持ち、どんな経緯で五輪と関わるようになり、具体的に五輪、スポーツをどう変えたのかまで知っている人は少ないと思います。 結論から言うと、ユベロス氏は「税金を一銭も使うことなくロス五輪を黒字化させた」という実績を持っています。これが本来、語られるべき功績の具体的な定量性であると思っています。すなわち、他の五輪の定量的な指標と比較して、功績を評価すべきでしょう。

結局、賛成多数で非公開が決まったものの、山下会長は出ばなをくじかれたうえに、何より身内の柔道界からの突き上げが面白くなかったはずだ。山下会長は、昨年3月、山口理事が五輪開催延期論を口にしたときは「内部で発言せず、外に発言するのは極めて残念」と強く批判した。

JOC評議員会の場にて、なぜあんな発言をしたのか。長年、五輪の現場を取材してきたベテラン記者は「JOC理事に森会長のターゲットになる人物がいますからね。森さんにすれば、積もり積もった思いがあり、ここで一発食らわしておくという浅はかな考えがあったのでしょう」と指摘する。

五輪やスポーツを超え、これからの日本が再び輝くには、どんなリーダーを選び、どんな社会を築いていくべきなのか。男だから、女だから、年下のくせに……なんていう無意味な風習や価値観が廃れていき、自由闊達な議論が盛り上がる風通しのよい社会へ。前回のコラムでも記したスポーツがけん引する「フラットな社会」の実現が、思ったより早く訪れそうで、なんとなくワクワクしてしまいます。

よく言われる「コロナに打ち勝った証しとしての五輪」にも同じような感覚を覚えます。「コロナに打ち勝った証し」と聞けば美しく勇ましいとは思いますが、それはいったいどういう状態なのか。世界で患者がここまで減ったらとか、ワクチンの接種がどこまで進んだらとか、具体的な判断基準は何も示されていません。フワリとした雰囲気だけで物事を流そうとしてしまうのは、近年の日本社会の大きな課題だと感じています。

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