ミャンマー「クーデター」の行方は? 出回る拘束リスト、ネット遮断、銀行ATM閉鎖で現金引き出し急ぐ姿も【現地報告】〈dot.〉(AERA dot.)

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ミャンマー「クーデター」の行方は? 出回る拘束リスト、ネット遮断、銀行ATM閉鎖で現金引き出し急ぐ姿も【現地報告】〈dot.〉(AERA dot.)
[MARKOVE] 国軍による事実上のクーデターが起きたミャンマー。ネットや電話回線がつながりにくくなるなど、国民の間に不安が広がっている。アウン・サン・スー・チー氏率いる最大与党・国民民主連盟(NLD)関係者らの拘束[/MARKOVE]
[紹介元] AERA dot. – Yahoo!ニュース ミャンマー「クーデター」の行方は? 出回る拘束リスト、ネット遮断、銀行ATM閉鎖で現金引き出し急ぐ姿も【現地報告】〈dot.〉(AERA dot.)

ミャンマーは1948年に英領から独立した

ミャンマー政変 クーデターは許し難い暴挙2021/02/02 03:00.

ミャンマー国軍は1日、事実上の政権トップで国家顧問を務めているアウンサンスーチーら複数の政治指導者を拘束しクーデターを実行した。国民民主連盟・NLDはスーチー国家顧問とウィンミン大統領が国軍により首都ネピドーの自宅に軟禁されている状態だと明らかにした。国軍はNLD圧勝の去年11月の総選挙には「不正があった」と主張していて「総選挙をやり直して勝利政党に権力を移管する」との方針を示している。アウンサンスーチー国家顧問、ウィンミン大統領、ミャンマー・ヤンゴン、の映像。

ミャンマー国軍がアウンサンスーチー氏を拘束 その足跡とクーデターの背景を探る16枚の写真ミャンマー国軍が2月1日、クーデターを決行して民主化運動の象徴だったアウンサンスーチー外相兼国家顧問を拘束した。なぜ、生涯4度目の拘束を受けることになったのか。その功績と、拘束の背景を16枚の写真で探る。

ミャンマーの与党・国民民主同盟(NLD)を率い、「国家顧問」として事実上の最高指導者の地位にあったアウンサンスーチー氏が2月1日、ミャンマー国軍に拘束された。軍によるクーデターだ。

ミャンマーは1948年に英領から独立した。1962年、ネウィン将軍がクーデターを起こし、それから軍による統治が続いてきた。民主化運動の拡がりに、ミャンマーでは1990年、総選挙が行われた。NLDが圧勝したが、軍政がアウンサンスーチー氏を拘束し、自宅に軟禁。選挙結果で示された民意は無視された。ひるまず民主化運動を続けるアウンサンスーチー氏は1990年、ノーベル平和賞を授賞した。しかし、軟禁下で授賞式に首席することはできず、2人の息子たちが代理でメダルを受け取った。

2月1日早朝、ミャンマーの事実上の最高責任者アウン・サン・スー・チーら政府要人が軍によって拘束された。首都ネピドー周辺では電話、インターネット回線も遮断されていると報じられている。

[ワシントン 1日 ロイター] – ミャンマー国軍のクーデターを受け、既に低調な同国に対する米企業の投資意欲は一段と冷え込み、進出済みの一部大手企業も撤退しかねない──。貿易専門家やアナリストは1日、こうした見方を示した。

2月1日、ミャンマー国軍は世界各国で懸念されていたクーデターを決行。アウンサンスーチー氏とウインミン大統領(左)らを拘束した。

国軍による事実上のクーデターが起きたミャンマー。ネットや電話回線がつながりにくくなるなど、国民の間に不安が広がっている。アウン・サン・スー・チー氏率いる最大与党・国民民主連盟(NLD)関係者らの拘束は数十人に上るという情報もあり、軍事政権の長期化を懸念する声が上がっている。【現地写真】日中でも歩く人はほどんどいない 1日の夕方(日本時間19~20時ごろ)、日本にいる仲介者を通して、ヤンゴン市内在住のミャンマー人男性(43)から現地の様子の知ることができた。身の安全を確保するために名前は明かせないというが、二人の子どもの父親であり、ビジネスマンで、人権団体にも所属しているという。 ミャンマー国軍は1日午前8時半ごろ、テレビを通じて「国家の権力を掌握した」と宣言。全土に1年間の非常事態宣言を発令した。「国の報道で明確に、国軍は1年間国家の権力を掌握するという報道があったことから、これは確かにクーデターだろうと思いました」(男性) 男性によると、1日の午前中はまだ人の動きがあったが、午後になるとヤンゴンの街はかなり静かになったという。外出制限はかかっていなかったが、外を歩く人の姿はほとんど見られなかった。巡回バスは普段通りに道路を走っていたが、個人の乗用車は少なく、その代わりに軍事政権時代と同じく、市内には軍の巡回車両が出てきていたという。 午後にインターネットが遮断されるという情報が流れ、実際に男性と連絡を取ろうとすると、電話回線やネットがつながったり、きれたりと不安定な状態だった。ヤンゴン市内の一部の銀行のATMの前には一時遮断のお知らせが掲げられ、人びとは急いで現金を引き出すなどしていたという。「今のところ生活には困っていないものの、非常事態宣言が発令されたため、必要な日用品等を早めに買込んで、家へ戻っている人が多い。今後の生活に不安感が広がっている」(同) 現地の事情に詳しい日本人によると、これまでも少数民族などで政府批判の動きが見られた場合、ネット遮断の措置がとられることはたびたびあったという。市民はネット遮断などにはある程度慣れてはいるが、今回の場合は軍政が長引くとみられることから、影響が広範囲に及ぶことが懸念されている。「今後どのような展開になるかは、誰も想像がつかない。これから海外とのビジネス取引や、貿易、物資運送業に支障が出てくるだろう。結果、市民の生活にも影響があることに間違いないと思う」(同) 今回、非常事態宣言に先立ち、スー・チー氏とウィン・ミン大統領らNLD幹部数人の拘束が日本で報じられてる。しかし、男性が所属する団体の情報によると、そのほかにも、軍は中央政府だけでなく地方域・州の政権執行委員の幹部や、NLD関係者を自宅から連行して拘束している可能性が高いという。

Worldミャンマー軍事クーデター 変わった米国、注目の中国の反応Feb 1 2021Aung Shine Oo / AP Photoまた、オーストラリアのペイン外相も米国同様の懸念を示し、法の遵守と捕まった政府高官らの即時解放を訴えた。バイデン政権は同盟国との関係を重視しており、今後こういった問題に対して多国間主義の立場から当該国に圧力をかけていくことが予想される。

2月1日、ミャンマー国軍は世界各国で懸念されていたクーデターを決行。アウンサンスーチー氏とウインミン大統領(左)らを拘束した。4度目となる拘束は、いつまで続くのか。選挙結果をないがしろにしたミャンマー国軍に対する国際的な圧力は、どこまで高まるのか。発足したばかりの米バイデン政権はどう対処するのか。長年にわたりミャンマー軍政の後ろ盾となり、民主化に後ろ向きな中国は。中国に対抗して影響力を強めようとしてきたインドは、そして経済協力を強化してきた日本は。「アジア最後のフロンティア」と呼ばれ、各国が次々と投資してきたミャンマーの行方に、懸念が高まっている。

米商務省国勢調査局のデータに基づくと、ミャンマーと米国のモノの貿易額は2020年1─11月が13億ドル近くで、19年の12億ドルを上回った。

各国の首脳も、事実上の国家元首として彼女に向き合った。各国と首脳会談を重ね、ミャンマーの民主化と経済発展への支援を要請した。写真は2019年10月、会談を前に安倍晋三首相と握手を交わす姿。

スー・チーらミャンマー政府要人が相次いで軍に拘束されたが、各国がこれを「クーデター」と認めることにはハードルが高い。そこには中国の影がある。

「民主化の象徴」として高い知名度を保ってきたが、ミャンマーの国家運営に携わるようになると、厳しい批判にもさらされた。その最大の焦点は、ミャンマー軍と治安部隊が2017年、イスラム系少数民族ロヒンギャの村を焼き討ちし、数十万人単位の住民らの弾圧と追放を行った、いわゆるロヒンギャ問題だ。

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