「山口百恵の涙があふれて…」巨匠・篠山紀信が語った週刊朝日表紙の”秘密” 創刊99周年〈週刊朝日〉(AERA dot.)

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「山口百恵の涙があふれて…」巨匠・篠山紀信が語った週刊朝日表紙の”秘密” 創刊99周年〈週刊朝日〉(AERA dot.)
[MARKOVE] 写真家・篠山紀信さんが「週刊朝日」の表紙を撮り始めたのは、1978年。以後、20年もの長きにわたって「週刊朝日」には、時代を映すスターが登場した。[/MARKOVE]
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山口百恵の涙があふれて 巨匠 篠山紀信が語った週刊朝日表紙の秘密

写真家・篠山紀信さんが「週刊朝日」の表紙を撮り始めたのは、1978年。以後、20年もの長きにわたって「週刊朝日」には、時代を映すスターが登場した。【写真】篠山紀信が撮影した美しすぎる在りし日の夏目雅子 過去の作品群を見て、篠山さんはこう語った。「皆さんね、本当のプロとしての役者の顔をしていないんです。ちょっとズレている。ここに出てくるくらいの人たちは、毎週のように撮影があるでしょう。彼女たちにとっては、それは戦い。だから必ずカメラに向かって、挑むような強い表情をするんです。それもいいんだけど、『週刊朝日』という媒体を考えたら、フッと見せる自然な表情がいいんですよ」 思いがけない姿を見せてくれたのが、78年5月12日号に掲載された山口百恵だ。 73年にデビューし、翌年の「ひと夏の経験」が大ヒット。同年には映画「伊豆の踊り子」とドラマ「赤い迷路」にも出演。百恵は歌手として女優として一気に頂点に駆け上がっていった。 篠山さんが撮影時を回想する。「百恵さんが当時やっていたお芝居に、哀しい場面があったんです。それをもう一回思い出して、とお願いしました」 そう頼んで、あとはただ静かに待っていたという。3分ほど経った頃。「彼女の感情が込み上げてきて。涙があふれてきたんです」 撮影が行われた78年といえば、百恵は「紅白歌合戦」で紅組史上最年少のトリとして「プレイバックPart2」を歌った。人気の絶頂期にとらえた奇跡のショットである。 表紙に出てくる人物は、いずれもその時代の華。既に強いイメージが読者に植え付けられている。それだけに難しかったし、撮りがいもあったと篠山さんは語る。「吉永小百合というと、皆、自分の中に決まった像があるんですよね。それを完全に壊してしまってはダメ。だけど、そのイメージ通りに撮ると『なんだ、いつもの吉永小百合じゃないか』っていうことになる。写真家として、それはしたくないわけですよ。吉永さんはこっちの気持ちもよく分かってくれて。上手ですよ。そういう風に演じてくれました」

この詩とともに、アイドル歌手「山口百恵」なんてイメージが浮んでくるのだが、かつてある俳人とその話をした記憶がしまいこまれ、花を見るたびに思い出されてくるようである。脳の記憶BOXにはいったいどのように整理されているのだろうか。

篠山紀信の撮った写真が表紙であった。メイクアップか本物か、涙が頬をつたう写真を表紙に使うのも珍しい。

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