韓国の「反安倍集会」でアイマスクしてフリーハグ 桑原功一の目指す世界<現代の肖像>〈AERA〉(AERA dot.)

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韓国の「反安倍集会」でアイマスクしてフリーハグ 桑原功一の目指す世界<現代の肖像>〈AERA〉(AERA dot.)
[MARKOVE] アジアの街なかで見知らぬ人々とハグする「フリーハグ」の動画が、共感と批判の両面から「バズり」を生んだ。「いざというときにダメな自分」に葛藤し、3千キロを自転車で走ってもゴールで感じたのは虚無感。そん[/MARKOVE]
[紹介元] AERA dot. – Yahoo!ニュース 韓国の「反安倍集会」でアイマスクしてフリーハグ 桑原功一の目指す世界<現代の肖像>〈AERA〉(AERA dot.)

その様子は韓国のテレビで放映され 大きな反響を呼んでいるという

その中で、昨年BFP Korea Tourで韓国を訪れる機会に恵まれました。初めて韓国を訪れたのが、2010年のお正月でした。それから、二年の月日が経ち、久しぶりに訪れた韓国では、目の前に広がる光景が180度違って見えました。ソデムン刑務所や独立記念館を訪れ、過去の歴史を知り、どうして韓国の方があれほどまでに日本を、そして日本人を意識して、責めるのか。­­言葉だけでなく、心に入ってくる感情として、すべてとは言えませんが、その理由を分かろうと出来たと思います。その中で、過去の愚かな行動を取った自分を認めて、これからの未来に対して、韓国の方と向き合いたいという気持ちを示すために、私はフリーハグを行いました。多くの韓国の方と抱き合い、抱きしめてもらえたことで、ようやく私の心の中にあったトゲが抜けて、消えました。この時が、生まれて初めて、自分と向き合えた瞬間だったかもしれません。そして、その向き合う気持ちは、三度目の韓国に移りました。

日韓関係が最悪のこの時期、ソウルの反安倍(反日ではなく)集会で、日本人の若者がフリーハグを行った。その様子は韓国のテレビで放映され、大きな反響を呼んでいるという。彼の名は桑原功一君。

あれから3年。自分の気持ちを向き合うことに多くの時間を費やしました。再び訪れた韓国。街は活気に溢れ、若者は活力に満ちていました。標題にした「韓国から日本を見てみました」は、実は韓国に行くことで、過去の自分と向き合うことでもありました。当時、興味本位で歴史問題について聞き、関係が拗れ、その後音沙汰のない韓国の友人とも今なら向き合えると思います。

西大門刑務所を見学する中で、一人で展示物を見ている女性の方がいました。容姿からすると20代後半、年齢は私とあまり変わらないよう気がしました。上に書いたように驚きながら、刑務所内を歩いていたので、実際に韓国の方がどのような気持ちでこの場所を訪れ、見ているのか聞いてみました。頂いたコメントを抜粋すると「ソデムン刑務所に来るのは3回目。前回来た時に工事中だった場所があったので、今日来た。通常、韓国の人はあまりここには来ない。今日は、独島記念博物館に行ってから、ここに来た。韓国は韓国でよく知らないで、日本とケンカしようとする。」このコメントの「独島記念博物館」という言葉に潤くんと私は反応し、是非そこに行ってみたいと思い、場所を聞き、インタビューを終えました。

ここまで韓国語の通訳をしてくれた潤くんは、インチョンから帰国するため、チョンアン・アサン駅で別れ、ギンポから帰国する私は、神さんとともにソウル駅にKTXで戻りました。ソウル駅についてから、昨日と同じくフリーハグを行ないました。インサドンの時は外だったのですが、今回は駅の外と駅の中で行ないました。ソウル駅はさすがに人の流れが早く(日本の東京駅の人の流れを想像してもらうとわかりやすいと思います)加えて、チュソクで帰省する人たちでごった返していました。その中、日本から来た一人の若者がスケッチブックを胸に掲げ、フリーハグを求めました。インサドンほどはハグしてくださった人の数は多くはありませんでしたが、在韓アメリカ兵の方や外国人旅行客や、韓国の兵士の方そしてチュソクで民族衣装のチマチョゴリを着た女性が抱きしめてくれたのがとっても嬉しかったです。韓国のお盆に、伝統衣装のチマチョゴリを来た女性が、日本人とハグをする。端から見たら白い目で見る人がいるかもしれません。それでも、その女性は私とハグをしてくれました。このことが持つ意味は大きいと思いますし、本当にありがたいことだと思いました。

この度、2014 Tokyo International Conference of NGOs on History and Peaceに参加して参りましたので、私が感じたことを少し、お伝えできればと思います。 今回のフォーラムは、東アジアの平和と歴史和解を目的に開催されました。 来年、日韓の国交樹立50年を迎える今、このようなフォーラムに参加することができ、貴重な経験となりました。 4日間行われたフォーラムの中で、私は日韓の青年30名程が歴史と平和について話し合う場に参加し、過去を振り返り、そして、未来を考える重要性を再認識しました。 歴史を正しく認識することは、未来で同じ過ちを繰り返さないことに繋がり、未来を開く鍵になると思います。しかしながら、残念なことにこの「歴史を正しく認識するということ」がいかに難しく、課題が山積していることも事実です。 歴史上、加害者側になった国の歴史は湾曲しやすいと言えると思います。 韓国では歴史を「国史」と言い、自国に有利な歴史を学んできたと感じるとの韓国側の意見を受け、私も日本人として受けてきた教育の中で、共感できる点がありました。 私は大学に入学する前は学校教育で教えられてきたことが全て真実だと思っていましたが、多くの真実を知らないできたことを他国の学生との交流を通して知りました。 「知らなければ良いのか。」私は違うと思います。知らないが故に、相手を傷つけることもあります。まずは知ろうとすることが始まりであり、そして、それを対話し、伝えていかなければならないと思います。 「韓国人は〇〇」、「日本人は〇〇」という風に出来上がってしまった固定観念はありませんか。このブログをお読み下さっておられる方々の中にも、このような考えがどこかにあるかもしれません。 私にも全くないというと嘘になりますが、この作られてきた固定観念を払拭し、まずは互いに交流し合うことが相互理解の第一歩なのではないかと切に感じました。 フォーラム内で出た意見としても、日韓の青年に共通して、学校という枠を出て、実際に会って対話することで歴史認識が変わるのではないかという考えが出ました。私が最も驚いたことは、韓国の学生が国内では「在日韓国人」ということがトピックになることも少なく、ほとんど知らなかったと言っていたことです。 今回のように日本、韓国の若者が集まり、話し合っている姿はとても友好なように目に映りますが、国レベルの政治外交の場では難色が示されているのが現状です。 では、私たちはどうすれば良いのか。 本来、日韓ではトピックにすることが難しい「歴史」や「平和」をテーマに、政治家でも何でもない我々学生が話し合うことが重要なのではないかと思います。 これからどのような時代が訪れ、どのような歴史が描かれていくのかは分かりません。 でも、それを築いていくのは、我々若い世代であり、正しい歴史を認識し、次の世代に責任を持って伝えていかなければいけない。そう感じたフォーラムとなりました。

今回のように日本、韓国の若者が集まり、話し合っている姿はとても友好なように目に映りますが、国レベルの政治外交の場では難色が示されているのが現状です。

二日目の早朝、7時半に地下鉄の駅で神さんと待ち合わせ、いざ三人で独立記念博物館に向かいました。独立記念博物館は、ソウル駅からKTXという韓国の新幹線で南に30分ほど行ったところのチョンアン・アサン駅から車で15分くらい行ったところにありました。余談ですが、日本に帰国し、韓国の歴史について書籍を読み返して知ったのですが、このチョンアン・アサンという場所は、日本が占領した時代に韓国の独立を求めて起こった三・一独立運動で活動し、拷問にかけられ17歳で獄死した少女ユ・グワンスンの故郷だそうです。このことを知ったとき、初日にソデムン刑務所に行き、その展示物の中にユ・グワンスンの絵があったことを思い出しました。今回のツアーで訪れた先は、「どこに行ってもすべてが日本と関係する場所であったことに、日本が韓国にしてきた歴史を見た」と思いました。

独立記念博物館は、朝鮮民族の誕生から日本の占領時代(日帝時代)を経て、韓国が独立するまでを展示している博物館です。博物館と言っても、日本でイメージするような一つの建物で成り立っているわけではなく、広大な敷地に8つのパビリオンがあり、そのパビリオン一つ一つにそれぞれの時代について展示されています。8つすべてを回って、現代の韓国に戻るわけですが、実際にその8つのパビリオンを回りきった後に、なぜ韓国の人たちが朝鮮民族であることにあれほどまでの誇りを持つのか。その意味が少しだけ分かった気がしました。

それは、小学校時代に遡ります。私の小学校には、在日朝鮮人の子どもたちが数名通っていました。クラスにいた彼らとは、とても仲良くなり、よくお互いの家に泊まりに行ったことを覚えています。その一方で、無意識のうちに、アジアに対して、蔑視する気持ちが自分の中に存在したことも覚えています。理由はわかりませんが、日本は他のアジア諸国よりも優位であると考えていました。その中で、大学生の時にアメリカに留学した際、留学先の学校にはたくさんの韓国からの留学生がおり、彼らととても仲良くなりました。一方で、英語が凄く話せて、勉強熱心な彼らを見て、凄いなと驚嘆したことを今でも覚えています。ある時、親しくなった韓国の友人と、興味本位で歴史の話をしたときに、彼らから韓国と日本との過去の歴史について、責め立てられ、お互いが、お互いに感情的になり、関係がこじれてしまい、ぎくしゃくしたまま帰国の途についてしまいました。その当時は、お互いがお互いの非を認められず、ぶつかることを避けてしまい、コミュニケーションを取らなくなったまま時間が過ぎていきました。

独島記念博物館を後にした我々は、神さんが待つ弘益大学生との交流会に参加しました。現地の学生たちとマッコリを飲みながら、ざっくばらんに色んな話をしました。我々がどんな想いで今回訪韓したのか話すと、みんな真剣な表情で耳を傾けてくれました。今でこそ、日本では韓流が大人気で、韓国の良いイメージを持つ人が増えていると思います。私が小学生の頃は、まだ今の中国のようなイメージで韓国を捉える風潮があったと思います。選言せずに言うと、「蔑視」です。でも、実際に韓国に行き、韓国の方々と話をすると、お互いの話に耳を傾けて、お互いの意見を尊重して話が出来たと思います。私見ではありますが、人は自分が抱くイメージに近い人と出会うし、そのイメージになるように相手にリアクションを求めようと無意識にする部分があるのだと思います。韓国の方々との交流の中で、改めて自分が求める者に人は出会うのだと思いました。

桑原さんは『韓国の現在の雰囲気を報道しているニュースを見た家族が「デモも過激化しているし、日本人だと分かったら何をされるか分からない。』と言われたといい、『しかし、フリーハグを行う為にアイマスクで顔を隠している間、何も悪いことは起こらなかった』と答えた。

フォーラム内で出た意見としても、日韓の青年に共通して、学校という枠を出て、実際に会って対話することで歴史認識が変わるのではないかという考えが出ました。私が最も驚いたことは、韓国の学生が国内では「在日韓国人」ということがトピックになることも少なく、ほとんど知らなかったと言っていたことです。

まずは日程。諸々の予定を加味し、9月末の渡航を決めた矢先、BFP支援者である李さんから「その時期は、旧盆にあたる秋夕(チュソク)だよ」と指摘を受けました。旧正月と並ぶ代表的な名節で、お店の多くはお休みになるとのこと。日程変更も考えましたが、普段味わえない韓国の一面を知ることになるかも…と淡い期待を抱き、主要な訪問先が開いていることを確認して9月29日から1泊2日(私のみ3泊4日)で行ってまいりました。近い国といわれ、韓流や韓国料理は随分と日本にも浸透してきましたが、まだまだ本当の意味での文化は通じていないことを初っ端から自覚させられる事となりました。

お腹も一杯になり、いざ日本大使館前に向かいました。しかし、周囲に神さんらしき人は見かけられず、逆に韓国の機動隊が大使館前にバスを停め、厳重に警備をしている様子でした。さすがにこの雰囲気の中、立って待つという感じではなく、少し離れたところにあるホテルの前で待っているとそこに神さん登場。異国の地で再会できた、しかも日本の出発地も異なる中(我々は成田から、神さんは中部セントレアから)喜びを分ちあい、いざ大使館前の記念碑とのフォーショットを撮りに行きました。どなたかに写真を頼もうと思ったのですが、周りには機動隊しかおらず、片言の韓国語と英語でお願いしました。

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