ニコンがカメラ本体の国内生産を終了へ アサヒカメラ記者が見た「ニコンは一つ」の思い〈dot.〉(AERA dot.)

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ニコンがカメラ本体の国内生産を終了へ アサヒカメラ記者が見た「ニコンは一つ」の思い〈dot.〉(AERA dot.)
[MARKOVE] ついにニコンは、70年以上続けてきたカメラボディーの国内生産に幕を下ろす。これまでボディーの製造は、宮城県にある「仙台ニコン」と、タイの「ニコンタイランド(NTC)」で行ってきたが、コスト削減のため[/MARKOVE]
[紹介元] AERA dot. – Yahoo!ニュース ニコンがカメラ本体の国内生産を終了へ アサヒカメラ記者が見た「ニコンは一つ」の思い〈dot.〉(AERA dot.)

ニコンがカメラ本体の国内生産を終了へ アサヒカメラ記者が見た ニコンは一つ

——"スタンダード機"というとミドルクラスのイメージですが、ニコンではD850がミドルクラスであるという意味ですか?

——それは面白いですね。日本人だけ動画をあまり撮らないのですね。それはさておき、動画機能が充実する一方で、動画撮影時のAFで有利な像面位相差AFや電子ビューファインダーの併用など、この時期に先進機能の搭載がなかったのは意外です。カメラの次世代を睨むと、これからのイメージセンサーには像面位相差AFとグローバルシャッターまたはそれに近い機能が求められていると思いますが、そうしたユーザーサイドの認識はニコンのカメラ開発で共有しておられますでしょうか?それを踏まえて、今回像面位相差AF機能を見送った理由も教えてください。

ニコンを苦しめるのはカメラ市場縮小という外部環境だけではない。ミラーレスカメラでの出遅れという内部的要因も響く。

▲衝撃!ニコン社員が踊る100周年ムービーを君は見たか?

——ニコンのカメラは伝統的にRAWデータのダイナミックレンジが広いと言われますが、どんな工夫をしているのでしょうか?

ついにニコンは、70年以上続けてきたカメラボディーの国内生産に幕を下ろす。これまでボディーの製造は、宮城県にある「仙台ニコン」と、タイの「ニコンタイランド(NTC)」で行ってきたが、コスト削減のため、タイ工場に集約する。【写真】ニコンF3を手にする元タカラジェンスの女性写真家はこちら ミラーレスカメラZ 7、Z 6の生産は9月末で完了し、10月からタイへの生産移管準備を開始している。デジタル一眼レフのD6も2021年度中にタイへ生産を移管する予定だ。 1971年に設立された仙台ニコンは、仙台市の南に接する名取市にある。一眼レフの生産は「リトルニコン」の愛称で知られるEM(79年発売)から始まり、徐々に高級機の生産へとシフトしていった。海外の生産工場に対して技術指導を行う「マザー工場」としての役割も担ってきた。 私はこれまで仙台ニコンを取材で3回訪れたことがある。最近の製造現場はカメラのデジタル化にともないクリーンルーム化されているが、それ以前はニコンF5など、フィルムカメラが作られる様子をすぐ横に立って見ることができたのはいい思い出だ。■「ニコンは一つ」 目に飛び込んできた応援メッセージ なかでもいちばん印象に残ったのが2013年の訪問だった。 その2年前、名取市は東日本大震災の大津波に襲われた。仙台ニコンの工場には津波は達しなかったものの、地震の揺れによって大きな被害を受けた。 工場に足を踏み入れると、大きな文字で「ニコンは一つ」と書かれた横断幕が目に飛び込んできた。そこにはたくさんの応援メッセージが書き込まれていた。被災した仙台ニコンを激励するため、NTCから贈られたものという。 会議室に招き入れられ、身が引き締まる思いがしたのは、担当者がこうあいさつしたときだった。「誠に残念ながら、東日本大震災により仙台ニコンの従業員にも犠牲者が出ました。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。これから東日本大震災による被害状況、そしてどう復旧していったかを説明します」

——ニコンの直販サイトで税込40万円を切る価格は、リーズナブルと好評です。同程度の性能のものが他社よりも手頃に販売できる秘訣は?

服部:ニコン独自の工夫かどうかはわかりませんが、ダイナミックレンジをできるだけ確保することは、画像処理の重要な課題であると常に意識しています。センサーの性能を画像処理で最大限に引き出すことで広ダイナミックレンジを確保していますが、先ほどの高感度ノイズ低減と同様に、各要素での工夫の組み合わせによって実現しています。これはこの機種に限らず従来機からやってきていることです。

名門ニコンが窮地に立たされている。

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